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筆 者: 濱 田 純 逸
●08月26日 火曜
なんだか周りが静かになって【注115】自分一人になると、もう別れなんだなって感じがする。今になってみるとすごくはやい夏休み。ここにはじめて来た時は、不安で不安でしようがなくて二日も泣いたっけ。それが日本に帰るとなると、まだアメリカにさよならしたくないなんて複雑。サヨナラパーティーでは、何か一人でやればよかった。ここに来た一番の目的は「なんでもTryしよう!」だったはずなのに・・・。いざとなるとすぐ悪いクセが出てしまって。ホストファミリー【注116】のためにも…。アメリカ人ってめだつのがすきらしくて、自分のうちの子が舞台に上がるとすごい興奮する【注117】。私が修了証書もらっただけで、キャーキャー言っていたもの。うれしかったけど。アメリカに来ていろんなことかやりたくなった【注118】。まず勉強、そして庭いじり、最後にピアノと習字。日本に帰ってどうにかしてこれらを両立させる方法を考えなくっちゃ。せっかくやる気が出たんだから。そいでがんばってまたアメリカに来たい。今度来た時は、英語も少しはしゃべれるだろう。留学したいなあ。勉強しなくっちゃ。夢で終わらせたくない。またホストファミリーに会いたいもの。それで、その時こそ一日中いろんなことを話してみたい。もう会えなくなるなんて考えたくない。かわいくて活発なキム、はずかしがりやのラナ、動物好きのジム、勉強家のキャシー。自由な国アメリカ。いつまでも忘れないでいよう。
注115 |
この日の日記の内谷は一月のホームステイを総括するものである。一人になると泣いて、悲しがっていた彼女が、冷静に自分自身と向き合い、アメリカでの生活を振り返っている。決して感情的にならず、パニックにならず、客観的に、冷静に自分自身を見詰める姿は、日本にいるときの彼女と全く同一であろう。アメリカに滞在中のものであろうが、日本の自宅で書いたものと変わらない、平常心で振り返っていることが分かる。 |
注116 |
この述懐は重要である。四週間のホームステイが終わる頃には、生徒とホストファーザー、マザーとは、日本の両親と同様の関係にまで発展してしまう。それは、一時的な感情によるものではなく、帰ってからもずっと抱き続ける愛情のようなものである。だから帰国後、彼らは「アメリカのお父さん、お母さん」と言い、アメリカに「行きたい」ではなく、「帰りたい」と言う表現をしばしば自然に使っている。しかしながら、「日米の両親」に対する同様の気持ちと歴然と異なるところは、「甘え」である。すなわち、アメリカの両親の前においては、彼ら自身、自らへの甘えはないのであるが、日本の両親の前では、やはり「廿え」がその根底にあぐらをかいている。実の親子の関係と、人為的な親子関係の違いなのであろう。だから、彼らは「ホストファミリーのために・・・」という決意を語る言葉は、往々に口をついて出るのであるが、「両親のために」という言葉はそう簡単に出てこない。そのこと自体も日本の両親には甘えている単純な証拠であろう。さらにはまた、そこにお互いが生まれた時から「一個の人格を持つ個人」として、その存在をある一定の距離をおいて見守る欧米人の人間観と、一定の年齢までは、その翼の中で愛情を持って育てる日本人の教育観との差を痛感せざるを得ない。
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注117 |
アメリカ人の一面性である。自分の子供の順番になったりしたときは、その保護者は大声を上げたり、口笛を吹いたり、立ち上がったり、特別な反応を示すのですぐにわかる。例えば、パーティー会場で自分の子供が何らかのパフォーマンスをしたときは、あの子は自分達の子供であると言わんばかりに、大声を上げて声援を送るのである。
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注118 |
ここにも異文化に触発された参加者の姿勢がはっきりと見えてくる。そして、ここでははっきりと「せっかくやる気が出たんだから。」と、このときの気持ちをそう表現している。例えば、英語圏の国へ一週間の観光旅行に出かけた人が、「帰国後、英会話の勉強を始めたくなること」と全く同一のことである。それは体験した人でなければその理由は理解できないかもしれないが、多くの人には理屈抜きで推察できるものであろう。大学生よりも高校生のとき、高校生よりも中学生のとき、中学生よりも小学生のときというように、私達ができるだけ若いとき参加することをお勧めするのも、異文化で触発された積極性ややる気は、若ければ若いほど貴重であると考えているに他ならない。
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⇒ 翌日(28日目 08月27日)へ
登 場 人 物 |
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 |
田中みゆき |
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 |
ジム アレトン |
ホストマザー |
キャシー アレトン |
7歳の双子の姉 |
ラナ アレトン |
7歳の双子の妹 |
キム アレトン |
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