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筆 者: 濱 田 純 逸
●08月18日 月曜
朝、家の中のだんろの火で残っていたマシュマロにありつけた。もうおいしくってたまらない。いい機会だったから写真も撮った。あと10日なのに11本も残っている。明日、スペースニードルに行くからなんとかなるだろう。構図なんか考えずに、バチバチ撮るぞ! 兄ちゃんに手紙を書いた。すごく楽しい気分だ【注082】。沖縄は暑いんだろうなあ。どこかでおみやげを買いたいのだけど、車のない家庭だから言いにくい。いつかたのみこまなくっちゃ。兄ちゃん、母さん、父さん、鹿屋のばあちゃんのはじっくりえらんで買いたいもの。自分のサンタルも・・・。だって靴が一足しかないから28日間ずっといっしょのをはいてないといけない。中がまっ黒だ。それに最後の週にスキヤキも食べさせてあげたいなあ【注083】。作ったことないけど。ここではいろんな収穫がある。りんご、いちご、トマト、ブロッコリー、じゃがいも・・・。日本に帰ったら【注084】、雑草をぬいて果樹園にするのもいいなあ。そうだ、中央に花を植えてまわりに果実なんてのもいい考えだ。でもあんまり計画ばかりたててもしかたないか。隣に住むイサクという子とラナ、キムに竹のキーホルダーをあげたら、すごく喜んでみんなでお礼を言いに来てくれた。これからちっちゃい子が来たら、どんどんあげよう。どうして今まで気がつかなかったんだろう。
注082 |
気持ちが晴れて、お兄さんに手紙を書いて、ふと気が付くことがある。多くの人に自分が支えられているという実感である。それはホストファミリーでもあるし、日本の家族でもあるし、グループの仲間でもあるし、先生でもあろう。嬉しくて自分の周囲の全ての人に感謝したくなる。そして、そんな気持ちが働けば、益々ホストファミリーが身近な存在になっていくものである。、この頃から完全に家族の一員となりきったようで、彼女の気持ちも快活になって行くのが手に取るように理解できる。
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注083 |
8月3日に初めて日本料理を作ったときは、「ホストファミリーに冷やしソーメンをゴチソーした。」であるが、その日から二週間後のこの日の日記には、「スキヤキも食べさせてあげたいなあ。」と表現している。前者は後者と比較すると、事前学習会の指導に基づく義務的な日本料理の紹介という活動の一環というニュアンスが色濃く感じられる。ところが後者となると、絶対的にホストファミリーに食べさせてあげたいという思い入れが先である。さらに気をつけなければならないのは、「スキヤキを食べさせてあげたいなあ。」や「スキヤキをゴチソーしたいなあ。」ではなく、「スキヤキも食べさせてあげたいなあ。」と記していることである。この「を」と「も」の違いは極めて大きい。つまり、このとき彼女の脳裏には、「あれも、これも食べさせたい。」という様々な日本料理が浮かび、その中で特にスキヤキだったからこそ、無意識のうちに「も」という表現になったと思われる。さらに、「ゴチソーしたいなあ。」ではなく、「食べさせてあげたい。」という気持ちには、相手を「思いやり、いたわる。」という意思が極めて強く感じられる。本当に純粋な気持ちとして相手を喜ばせてあげたいという思いが、これらの表現につながったと思われる。ここに二週間経過した彼女のホストファミリーに対する気持ちの変化が大きく現れている。
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注084 |
さらに「帰ったら」という帰国後のことを考えた、積極的な意思と前向きな姿勢である。 |
⇒ 翌日(20日目 08月19日)へ
登 場 人 物 |
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 |
田中みゆき |
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 |
ジム アレトン |
ホストマザー |
キャシー アレトン |
7歳の双子の姉 |
ラナ アレトン |
7歳の双子の妹 |
キム アレトン |
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