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筆 者: 濱 田 純 逸
●08月24日 日曜
後、日が残り少なくなったので、たくさん親孝行【注108】をした。午前中は家の周りのしばを全部きれいにさんぱつして、タ方はスキヤキを作り、夜は習字。おかげで手にはいっぱいまめができるし、タ食は我慢して食べないといけないし、墨は二回に分けて作らなくちゃいけないし、さんざんだった。でもなんだかおちついた【注109】感じだ。スキヤキはみんなそれぞれ好みがあって、私はとうふ、ラナは糸こんにゃくをよく食べた。やっぱり私の考えていた通り、しょうゆを入れすぎてしまった。でもまあ今度も全部なんとかうりきれたからよかったんだろう。うどんがすごいぼろでまがりくねっていたから入れなかったら、クりスはがっかりしていたようだった。だって、うどんがこんなものかと誤解されたらこまるもの。その後、キャシーに【注110】たのまれて、「田中みゆき」と大きく書かされた。田中まで書いて、また墨を作ってを書いたから、色の濃さもちがうし、書きっぷりも全然ちがってしまって、見るのもはずかしいのに、台所にオシピンでベタッとはりつけてしまった。ウッ、日本人が来ないのを願おう。外人ならわかんないからいいけど。やっぱりもう日数がないと思っているのか、バチン、バチン写真にとられてしまった。本当に後がないんだなあ。つくづく感じてしまう。やっとこっちの生活になれてきたら、さよならなんて・・・。複雑な気持だ【注111】。
注108 |
このように日記に「親孝行」と抵抗なく書いた彼女の思いを、私達はどのように受け止めればいいのだろうか。お世話になったから、精一杯その恩返しをするために、義務感や義理でそのようなことを行おうとしたのであろうか。ここに記されたように、今日は「庭の芝刈り」「日本料理」「習字の披露」と、三つのことを主にやったようである。これらのいずれもが、事前学習会で指導したホストファミリーのためにやらなければならないことの内容である。果たして、彼女がこれらのことをその指導に則ってやったとはどうしても思えない。義務感や義理を感じて行ったこととはおそらく誰も思わないであろう。これまで、数多くの参加者達の日記に目を通すことはあったが、このような表現は最初で最後、現在でも見たことがない。おそらく彼女としては、残された日々をできるだけ有効に使いたいと言う気持ちの中から、これらのことをやって、その日の終わりの日記に記す時、この表現が最も彼女の気持ちを的確に代弁する言葉だったのであろう。そう思えば、この「たくさんの親孝行をした。」という表現は、通り一遍のものではなく、両者の間には既にこのような「親を思う子と子を思う親の気持ち」が存在していたと考えるのが妥当であろう。
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注109 |
ここも極めて興味深い表現である。「でもなんだかおちついた感じだ。」と、何気なく彼女は書いたのであろうが、これはどういうことなのであろうか。何がおちついた感じだと彼女は言うのだろうか。しなければならないことがあって、その義務感にさいなまれていたものが、それを終了したことによって、これで終わったヤレヤレという気持ちが、このような表現になったのであろうか。私はそうは思わない。これは明らかに彼女の「気持ち」が落ち着いたということなのであろうが、彼女自身が精神的に落ち着き、家族と共にいる安堵感と満足感を、漠然と表現しているに過ぎないと考える。この日の彼女の充実した生活の様子が手にとるように推測される。その忙中閑ありの心境は、充足感がなければ決して味わえないものである。
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注110 |
キャシーが頼んでくるのも、既に残り少ない日を共有しているという思いが、彼女の思い出に繋がるものを求めるのであろう。名前を書いた半紙を壁に留めたり、写真をバチン、バチンとられたというのもその証左であろう。
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注111 |
日本に帰りたいという気持ちと、このままここに滞在したいという気持ち。参加者に必ず見られる複雑な思いである。いざ日本に帰る時に、帰りたいという気持ちの方が強いという参加者は、ほぼ皆無である。
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登 場 人 物 |
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 |
田中みゆき |
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 |
ジム アレトン |
ホストマザー |
キャシー アレトン |
7歳の双子の姉 |
ラナ アレトン |
7歳の双子の妹 |
キム アレトン |
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