アカデミックホームステイに参加したある中学生のホームステイ記録(日記)です。彼女がホームステイの中で、何を感じ、何を思い、何を考え、何を得たのか。

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■ はじめに 目次 登場人物
■ 01日目 07月31日
■ 02日目 08月01日
■ 03日目 08月02日
■ 04日目 08月03日
■ 05日目 08月04日
■ 06日目 08月05日
■ 07日目 08月06日
■ 08日目 08月07日
■ 09日目 08月08日
■ 10日目 08月09日
■ 11日目 08月10日
■ 12日目 08月11日
■ 13日目 08月12日
■ 14日目 08月13日
■ 15日目 08月14日
■ 16日目 08月15日
■ 17日目 08月16日
■ 18日目 08月17日
■ 19日目 08月18日
■ 20日目 08月19日
■ 21日目 08月20日
■ 22日目 08月21日
■ 23日目 08月22日
■ 24日目 08月23日
■ 25日目 08月24日
■ 26日目 08月25日
■ 27日目 08月26日
■ 28日目 08月27日
■ 29日目 08月28日
■ 30日目 08月29日

筆 者: 濱 田 純 逸

●08月15日 金曜

一日中さんざんな日【注069】だった。漁船のような(長さ25メートルくらい)船に乗って、さっそうと出かけたのはよかったものの、寒さと船のゆれにまいって、けっきょく何もしなかった。ずっと奥の方にちぢこまってたんだもの。キャシーがさめ(Dog fish)をつりあげていたのを見てから帰りになってあったかくなった時まで・・・。えさはいかや小魚で、いかのおもちゃみたいな物もくっつけていた。こいのぼり【注070】が泳いでいる船なんてはじめて見た。これは別にどうもなかったんだけど、その後の事件【注071】。家に帰って何もすることがなかったから、洗たくでもしようと思って、洗ざいを取りに行ったのだ。黒い汁の出るジーパンだったから、外で洗おうと思って・・・。そしたら、キャシーが電話の途中でやってきて、色もののといっしょに洗えという。全部黒くなったらいけないから、入れられないと英語でいえなくて、おろおろしてたら、なんだか知らないけど、プンプンおこって、また電話の所にもどっていった。それに私がびっくりしていると、キムが来て、また中に入れなさいと言って。全部黒くなるといったつもりだったけど、通じないのでNoと言って、外の水道の所でどうしようと考えていたのだ。そしたら、クりスが大声を出して、ジーパンをとりあけて・・・。どうしてあんなにおこらないといけないんだろう。理由がわからなくて、裏庭で泣きながら考えたけどわからないのだ。七歳の子が来てばかにするし・・・。いくら日本に帰りたくても、どんなに泣いてみても、ここが今の私の居場所なんだ、な。

注069
「さんざんな日」だったという聞き捨てならない形容で始まる一日である。言葉通り、彼女にとってはさんざんな日だったのであろうが、私にはこの日と次の8月16日は彼女のホームステイのハイライトであったと考えている。この両日に彼女の周りで起きたことは極めて意義深いものがあり、この両日がなければ彼女のホームステイは佳境のないものであったかもしれない。文脈を詳細にわたって吟味してみたい。
注070
まぎれもない日本の「こいのぼり」であったらしい。
注071

ホームステイ期間中に、どれだけの参加者がこの様な、ホストファミリーとの衝突や論争を経験するのかわからない。それ程に多くはないであろうというのは、彼らの語学力から類推できるが、この事件はホームステイ期間中、彼女にとって最大の衝撃だったらしい。私は後日、彼女からこの事件の事に関して直接、様々な問いかけをしたが、彼女にしてみれば、今でも心のしこりとなっているらしい。また、この頃が最も深刻に精神的にも肉体的にも落ち込み、心から楽しめない時だったらしい。そして、何故、キャシーがあんなに怒ったのかは今でも分からないと言っていた。もちろん、私にもその理由はわからない。せっかく、彼女の好きな魚釣りに友達に頼んで連れて行ってあげたのに、その間中、ずっと何もせずに奥のほうで小さくなっていた彼女の態度に憤慨していたのかもしれない。彼女の洗濯方法の意図がわからず、不経済な方法に気分を害したのかも知れない。その理由は謎でも、大事なことはキャシーが何らかの理由で怒り、彼女にその怒りをぶつけ、彼女はなすすべもなく、途方に暮れて、心にわだかまりが残ったということである。

ホームステイは人工的に作られた家族関係の中にファミリーが成立する。同じ家の屋根の下に生活するよそものは、本当の家族ではない。家族として生活はするが、両者にとっては限られた時間内の表面的なものである。ところが、時間の経過と共に、すなわち、時間と空間の共有の長さは、両者に一体感と連帯感を共有させてくれる。どこの誰か知らなかったものが、情が通じ、心が通い、ふれあいの中に互いの存在が段段と大きくなっていくのを感じる。

そして、心が一つになったかのごとく錯覚すら覚えるが、ここまでは誰でも体験するホームステイの表面的な成り行きである。でも、両者に壁は歴然として存在するのである。そしてこの壁が、ホストファミリーと心底から家族の一員として生活できない遠因の中核をなすものである。それは「建前と本音」「理性と感情」「体裁と実際」の間にある壁である。すなわち、人工的に作られた血のつながらない家庭生活では、遠慮とか、欲望の抑制が必ず両者に発生する。お互いがうまくやろうと努力するため、本音より建前が優先し、感情を理性が抑圧し、実際より体裁を繕う姿勢が両者にある。そして同様に、言葉による相互理解が不自由分であることによるストレスが、ホストファミリーにも参加者にも生まれる。この両者に存在する障壁の両サイドには、お互いに不満分子のエネルギーが蓄積され、何らかのきっかけにより着火されたエネルギーの爆発がなければ、最後まで往々にして蓄積され続くものである。すなわち、両者の「妥協的な歩みより」で、技術的に、そして、対面的にその場を糊塗するだけというものが、ホストファミリーと参加者の往々の実状であるかもしれない。

もしくは、両者が異文化を感じながらも、我慢しながら、忍耐を強要されながら、残された数日をカウントダウンしながら待つという生活かもしれない。それは、言うまでもなく「理性」の世界である。「理性」によって両者の溝に横たわる問題を解決しようと試みるが、その解決が見られない時には、ホームステイが終わるまでの忍耐という消極的な解決策にならざるを得ない。先程、私が述べた「何らかのきっかけ」とは、この「理性の世界」に対応する「感情の世界」である。赤裸々な欲望を露骨にし、遠慮を決してしない、感情のおもむくまま、自己を剥き出しにした言動が、通常の日本において血のつながった親子関係で見られる生活の原型と言っても過言ではなかろう。お互いが「感情」を露骨にすることにより、この最後の障壁はとり除かれ、乗り越えられ、真実の家族の一員として、互いに敬意を払い、認識しあうようになるのである。その様な意味で、私はこの「事件」は、最後のお互いの「体裁」とでも言うべく「障壁」を取り除く、起爆剤となったように思うのである。実際にこの時の彼女の心苦は絶え難いものであったらしい。その日の日記の最後に「ここが今の私の居場所なんだ。」と記した後、自分自身を諭すような思いで「な。」だけを付け加える彼女の心が痛々しい。四面楚歌、孤立無援の心境であっただろう。今、その壁を乗り越えて行こうとする悲愴な決意を見る思いがする。事実、この事件のあった日と、次の日の両日は、彼女のホームステイの中で、ある意味では「ハイライト」とも言うべきものである。

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登 場 人 物
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 田中みゆき
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 ジム アレトン
ホストマザー キャシー アレトン
7歳の双子の姉 ラナ アレトン
7歳の双子の妹 キム アレトン
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