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筆 者: 濱 田 純 逸
●08月12日 火曜
初めてのローラースケート。転んでけがをする人が続出。私も四回転んだけれど、全部おしりから。へたに手をつくと骨をおるみたい。勇気がないものだから、いっこうに前へ進まない。アメリカ人は本当に軽々とやってのけるのに。とは言っても、毎日のようにやっていればなんとかなるんだろう。昼の弁当がなんとサンドウィッチ一個! ガーン!! みんながめぐんでくれなかったら、死んでしまったかもしれない。この体に、たった一個なんてだれが考えたっておかしいぞ【注056】。だいたいの人はジュース、果物つき、もしくはクッキーつきなのに・・・。どうしてヨー。苦しさにがまんできなくて、「今日の昼の弁当は少なかった。」と言ったら【注057】、アメリカのお昼の時間は二時だからなんとか、かんとか。もしかして明日もサンドウィッチ一個ですか? キャシーちゃん【注058】。なんかこのごろ毎日食べ物のことを書いているみたい。うえてるのだ。立石さんのおかげでだんだん「じ」がでてきたみたい。みんなに生活を助けてもらわなくちゃ生きていけないヨこれからは。と言ってみても、みんながうえてるんだから【注059】、けっきょく一人でがんばらんといかん。近くの店にいって、クッキーのかいだめをするというのはわるくない考えだな。
注056 |
この表現の仕方が、独特である。生活に対する不満や不具合、満たされないことへの苛立ち、嫌いなことへの非難や愚痴は、中学生ならもっと直截的であったり、感情的であったり、攻撃的であったりすることが自然かもしれない。ましてや日記の中に書いてるものであれば、それは過激な非難や敵対的な誹謗であっても何ら違和感はないかもしれない。それを「だれが考えたっておかしいぞ」と書くのには考えさせられる。
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注057 |
自分が抱いた不満を、彼女が初めて直截にホストファミリーに苦言する場面である。おそらく、これまでの彼女の言動からすれば、かなり思い切った発言だったと思われる。何故なら、この日記に現れる彼女とこの言動とには、違和感が感じられるからである。迷いに迷った挙句、相当な勇気を出しての進言だったのだろうが、これらの勇気と決断をもたらしたものはおそらく、異文化での生活で得たものが背景にあるように思う。確かに日記上では、「だんだん『じ』がでてきたみたい」とは書いてはあるが、この彼女の説明は全体的に整合性が欠ける。もしそれが「じ」でおこなわれたのなら、「私は積極的になるのが(ホームステイに参加した)目的だったけど…」という8月11日の彼女のコメントとも大きく矛盾してしまう。むしろ、既に二週間のホームステイで感じたアメリカ人の積極性、あっけらかんとした開放感、素直な感情の表現、直截的な生き方などを目の当たりにして、普段からすれば大胆とも思われるこのような言動に踏み切ったものと思われる。また、遠因として、二週間の時間の経過と共に、家族の一員としていろんなことを自由に言える人間関係が生まれていたことがあるかもしれない。いずれにせよ、彼女のこれらの言動は、極めてアメリカ的な方法論であることは間違いない。アメリカ文化に影響を受けて、このような思い切った発言が飛び出したと思われる。
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注058 |
ここで初めて「キャシーちゃん」と「ちゃん」づけして揶揄するのである。苦言は呈したけれども、精神的な余裕がある。不満を溜め込まずに、自分の気持ちを隠すことなく素直に言えたことで、精神的に愉快になったのだろう、「もしかして明日もサンドウィッチ一個ですか? キャシーちゃん」と書き記す、たくましくなっている彼女が感じられるところである。書いている内容は深刻なことでも、閉塞感や危機感はさほど見られない。既に二週間のアメリカ生活で、アメリカ人のおおらかさや楽観性、積極的に生きる姿勢や問題解決方法などを目の当たりにして、それらの考えに少なからず影響を受けていると感じられる部分である。
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注059 |
ごはんとおかずを食べて、腹いっぱいの満足感を得る日本の食習慣とハンバーガーやポテトチップ、ピザやタコス、フレンチフライや炭酸類という、まるでおやつのような食事である。参加者にとっては、腹にずしりとくるような食べ物ではない。にもかかわらず、太った人がアメリカに多いのは、いかに高脂質、高カロリーのものを食べているかである。
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⇒ 翌日(14日目 08月13日)へ
登 場 人 物 |
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 |
田中みゆき |
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 |
ジム アレトン |
ホストマザー |
キャシー アレトン |
7歳の双子の姉 |
ラナ アレトン |
7歳の双子の妹 |
キム アレトン |
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