既に、ホームステイを始めて3週間も過ぎ去っているのに、「さっさと買わないとホストに悪い」という気持ちを、依然として彼女は持っている。読者はここを読まれて、彼女がこのような気持ちを持っていることに、ホストファミリーに対する遠慮であり、家族の一員としての垣根を自ら作っているということではないかなどと指摘されるかもしれない。確かに、これが遠慮であるのならその指摘は適切であろう。しかし、これは遠慮ではなく、周囲の人への配慮なのである。私はホームステイを通して、日本の様々な世代層の参加者達の適応に至る過程を見てきているが、適応の過程で日本人の「他人への遠慮」の姿勢は、異文化理解にとっては大きな障壁であるということを知っている。しかし、「他人への配慮」の姿勢は、異文化適応においてはむしろ大変重要な要素で、必要とされる姿勢の一つであるということを知っている人は、数少ない。つまり、「他人への遠慮」は極めて積極的に非生産性を生み出すだけのものであり、「他人への配慮」にはこの非生産性は全くない。むしろ、後者は行為者と被行為者の間の潤滑油として必要欠くべからざるものである。
人間は社会的動物として、他人への配慮を後天的に、高次元で学習する動物である。私が経験的に実感していのは、小学生の参加者では「遠慮」はできても、「配慮」はできないことが多いということであり、中学生の参加者では「遠慮」もできるが、「配慮」もできるという者が少し多くなり、さらに、高校生や大学生になれば「遠慮」も「配慮」もできる者がさらに多くなるということである。すなわち、人間は成長と共に「他者への配慮」ができるようになる可能性のある動物のようである。ホストファミリーが買い物に同行してきてくれて、「さっさと買わないとホストに悪い。」と彼女が考えているのも、ホストファミリーに対する配慮であり、当たり前の行為である。これが幼稚園児だったら、決してそんなことはできないのであるから。
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