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筆 者: 濱 田 純 逸
●08月21日 木曜
アメリカでの生活もあと一週間。さよならパーティー【注094】の話がでるようになった。女子のたまり場のトイレで何をするか計画中。みんなこのごろまとまった【注095】みたい。すごく話がはずむ。男子は隣の部屋。外人の子がびっくりして目を白黒させていた。歌を選ぶのに意見が分かれる。私は日本的な歌がいいと思うのだけど。民謡とか。パーティーのときはきものらしい。どうしよう、ゲタがない。安いのを買うかな、ジャパニーズストアで。明日は疲れるだろうなあ。一日中というか、何時間もバスにゆられて湖へ行って泳いで、そして帰ったらこんどはショッピング。でも楽しいことばっかりの疲れだからすぐ元気になるだろう、私のことだから。今日もおなかがいっぱいで死にそう。夕方こっそり(ラナ、キムのダンスの練習日)冷蔵庫から【注096】パンをとりだしたり、バナナを食べたり、チョコ入りのクッキーを食べたりしたからな。夕食もなぜかごうかだったし。このごろしあわせ……【注097】。すきやきの作り方、思い出すのにいっしょうけんめい。えっとはじめに肉をいためて、かたいのを入れて、それからしょうゆとさとうを適当に入れて・・・。うーっ、本当に大丈夫かな。一回も作ったことないのに。がんばろう。
注094 |
歓迎パーティーとは対を成すものである。つまり、日本の参加者がホストとなり、ホストファミリーや現地の先生方や関係者などを招待して、お世話になった感謝の気持ちを、日本の文化などを紹介しながら伝えるものである。
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注095 |
グループを構成する参加者達は、ほぼ全員が異なる中学校からの生徒であり、出発前は顔すら知らない間柄である。そのような参加者が約30名でグループ活動を行うと、当初はチームワークにも支障が見られたものが、帰国前一週間ともなると、異文化の中で同じ労苦を共にしたという共有感から、学校の友人とは異なる友情と人間関係を育むこととなる。極論すれば、文化的戦場で苦楽を共にした、いわば、戦友のような思いがあるのかもしれない。だから、わずか1ヶ月であっても、帰国後における彼らの絆は極めて強固なものがある。
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注096 |
ホストファミリーの家庭で、第一日目に必ずしなければならないことに、家の「冷蔵庫を開ける」ということがある。これはオリエンテーションで指導するものであるが、実際にはそれをできない参加者が後を絶たない。日本の参加者には冷蔵庫を勝手に開けるという行為は、他人の秘密を盗み見するような違和感があるらしい。だから、彼女のように、依然としてこっそり開けて見るという引け目のある感覚になってしまうようである。でも、受け入れる側には、滞在している人が勝手に冷蔵庫を開けて、中にあるものを取り出して食べたとしても、全くの違和感はなく、この行為そのものがとやかく言われることは絶対にない価値観である。すなわち、これに抵抗を感じるのは、日本の参加者のみである。
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注097 |
この述懐も意味深長である。ただ単に、全てが順調に行って、不満が全くなく、充実した生活を送っているということだけでは、このような表現にはなるまい。私が感じるのは物理的に満足しているということとは全く無関係に、精神的拠り所としてホストファミリーの存在と愛情を感じ、その懐に身を委ねている安心感や、完全に家族の一員として適応し、生活している安堵感のようなものから来ているような気がする。
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登 場 人 物 |
中学二年生のホームステイ参加者/鹿児島県出身 |
田中みゆき |
ホストファーザー/ワシントン州シアトル市在住 |
ジム アレトン |
ホストマザー |
キャシー アレトン |
7歳の双子の姉 |
ラナ アレトン |
7歳の双子の妹 |
キム アレトン |
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