何気なく読めば読み過ごしてしまうところであるが、この述懐も極めて重要で、象徴的なところである。そして、私には彼女の新たな現実が見えてくるくだりでもあった。「このごろは毎日おかわりしている。」と言いながらも、「悪いかなあ。」と言うのである。これまで、ホームステイ中の食事に関する彼女のコメントを分析してみる。
まず弁当に関する記述では、8月5日に「アメリカのお弁当はすごく貧しい。」とあり、8月7日に「昼食もサンドウィッチ一個に、もも一個だもんなあ。」と言う。さらに、8月12日では「昼の弁当がサンドウィッチ一個!ガーン!!」となり、そこで、意を決して「今日の昼の弁当は少なかった。」とキャシーに言うのである。すると、8月13日に「今日はなんと、サンドウィッチ二個にみかん、クッキーつきだった。もうしあわせですよ。」と記され、その後においてはお弁当に対する不満のコメントは見られず、8月28日の最後の日に「空港に着いた時、開いたお弁当。みんなすごい!手作りのクッキー、果物、サンドウィッチ。私も今日はピーチつきのお弁当、おいしかった。」で終わる。
ここから得られるものは、彼女が意を決して、「今日の昼の弁当は少なかった。」とキャシーに言ったときから、お弁当の問題は解決しているのである。次に、一般的な食事に関する記述では、8月2日に「朝はパンと紅茶、昼はパンと紅茶と?。夜はパンと紅茶とスープ(あか色)。今日はなんとお茶やさつまあげが出た。おいしくってたくさんたべた。」とある。また、8月7日には「食事がすごくまずしい。おかしみたいなものだ。日本の食事のごうかさが目にうかぶ。」と書かれ、8月9日の土曜日は休みで、グループ活動ないため、「今日は昼ごはんがすごく豪華だった。カレーにそっくりのものとポテトチップス、アップルジュース。そういえば、夕ごはんにすいかも出た。」と昼と夜の食事内容が書いてある。そして、この日の8月19日、「このごろは毎日おかわりしている。悪いかなあ。」と言うのである。ここでいう「このごろ」とはおそらく例の事件後の8月17日以降のことであろう。つまり、8月17日以降は「毎日おかわりしている」というのである。このことは、「それ以前はおかわりをしていなかったか、おかわりできなかったか」と同意である。すなわち、彼女の食事をとる姿勢が少なくとも変わったと言うことであり、だからこそ「悪いかなあ。」とも思うのである。
では、どのような変わったのかと言うことにおいても、その次にちゃんと回答を彼女は用意しているのである。いわく「いや、今ごろそんなこといってたら生活していけないんだ。」なのである。このことから、私達は何を得られるか。おそらく推察できることは、お弁当では彼女が自己主張したことによって問題を解決できたし、食事では「毎日おかわりして」問題を解決したのである。「悪いかなあ。」と、彼女がいみじくもその図々しいと思えるような自己主張や要求を憂慮したように、彼女における変化は、積極性や自主性に基づくものである。だから、彼女は積極的に自己主張をし、間違いや失敗を恐れず、まず主体的に行動することの重要性を学習し、そう適応していったのである。それらの経緯をここにも読み取ることができる。
|