この山行は彼女にとり、非常に感動的な、そして革命的な事であった。前日の事件の陰うつな感情的しこりが彼女の中には、依然として残っていたようで、あらゆる忘想が彼女の脳裏をかすめたに違いない。真剣すぎる、深刻すぎる、さらに、悲観的すぎる日本人の人生観に、「余裕」はない。「遊び」はない。余りにも「直截的」過ぎるのである。昨日の事件の後、煩悶、呻吟する彼女の眼の前にあるのは、いつもと変わらぬ平然としたキャシーであり、二人の姉妹であり、ジムなのである。すなわち、大きな老木の中の「闇」は彼女の姿であり、そこから見えた「小さな光」は、「ケセラセラ(悔やんでどうなるのよ。どうせ人生、なるようにしかならないわ。)」と高らかに歌う行動力にあふれた彼らの生きざまに外ならない。危ないことでもどんどんやってのける彼ら、トライ、トライと言いながら前向きに生きていく姿勢を見せる彼ら。かたや、昨日のことが頭から離れないず、同じ所でうずくまっている彼女。だからこそ、「日本人は、あまり先のことを考えすぎるみたいだ」と告白する彼女の真情、実感に胸を打たずにはいられない。その時、「私はいったい何をしようとしているんだろう。」と言った彼女が、帰国後、次の作文を書いている。つまり、この日記の最終行におけるこの自分への問いかけは、明白にこの作文の中で解答されているのである。この日記を読んだ後にこの作文を読めば、その背景が理解できるだけに、なお一層の感慨が深い。そして、彼女がこの困難から何を学ぶことができたかを、私達は容易に知ることができるのである。
「試みること(TRY)」
暗やみにとざされた古い大木の中で見あげた、あの一点の光を、私はいつまでも忘れないだろう。白くまぶしく輝いていたあの光を、いつかこの手でつかんでみせる。「ミ・ユ・キ!」二人の妹達におこされて、私は目がさめた。起きてみると、車はうす暗いほどの山の中。まわりの木々には緑色のつたさえかかっている。私が日頃見なれないこの風景に目をパチクリやっているうちに、車の中はいつのまにか一人になっていた。四人の私の家族と案内役の白髪の見える女の人は、どうやら山の中に入るつもりらしい。こんな所でおいていかれるのはいやだから、まだねむい目をこすりながら、後をおいかけた。
こんもりと茂るこの山奥にはもちろん道なんてありはしない。通りを邪魔する木の枝や、イバラをおしわけ進んでいく。それなのに私のかっこうというのが、白いスカートに、うす紫色のブラウスなのだ。イバラにかかってしようがない。だれだって「湖の近くに泊りに行くんだよ」と言われれば、少しはきれいな洋服を着たくなるとは思うのだけれど、みんないつもと変わらないかっこうで家を出発したのだ。なんとなく、いやな予感はしていた。でも、まさか急に車をとめて山歩きしようとは。「Look!
Look!」お母さんのキャシーが何かを見つけたらしい。私がやっと先頭のキャシーに迫いついた時は、もう、その何かに触っていたところだった。その何かというのが、無気味なほど巨大な大ぎのこ。背すじが寒くなるほど気持ちが悪い。それなのに、みんな触ってみたり、摘みとってみて観察している。私のかわいい妹達さえも、顔色ひとつ変えずに触っている。案内役の女の人とキャシーは、もっぱら辞書でそのきのこを調べている。キャシーは何にでも興味を持って、いろいろ質問しては、小さなメモ帳に記録している。私はただつっ立っているわけにもいかないから、その大ぎのこを枯れ枝でつつきながら、心の中で「食べられませんように・・・。」とずっと祈っていた。あいにくその大ぎのこは辞書にも載ってなかったらしい。もし、食用だとしたら、きっと喜んで、しばらくはきのこ狩りになっただろう。
ところどころに生えているブルーベリーを食べながら、また進んでいくと、私の大好きな大木があった。あのどっしりした身体に根をいっぱい張ってたたずんでいる姿は、どこで見てもいいものだ。老いた大木のねじれた幹に、また何か見つけたらしいお父さんのジムが、ワァーワァー興奮している。大木への入口を見つけたのだ。みんなもう、すごい喜びようだ。双子の姉妹キムとラナから順に六人共全員入ることができた。そこはひんやりとして、暗黒につつまれている。複雑にねじれた幹の影がうすく見えているようだ。なにげなく上を見上げてみた。みんな沈黙している。いつもは興奮すると、叫び、騒ぐ私の家族さえも今は声が出ない。ただ一点が白くまぶしく輝いているだけなのに・・・。どんなにすばらしい才能をもつ画家であっても、また、どんなに豊かな作家でさえも、あの色と輝きだけは、絶対に表現することはできないだろう。
沈黙の続く暗黒の中で、私はそっと考えた。「どんなに遠くても、どんなに悲しいことがあっても、自分の道をまっすぐ歩いて行こう。」そして、最後に行きついた所がどんな所であっても、それはそれでいいじゃないか。まず、試みること。」遠い異国で、私はすばらしいものを得た。これからは、いろんなことをやってみよう。いろんなことを見てやろう。大ぎのこを、平気で触っていた妹達のように、何でも興味を持った父さん・母さん達のように。帰りの車の中、私のまっ白なスカートが、大木の黄色い粉で汚れているのに気がついた。
|