8月下旬に出発し、アメリカの一般家庭にホームステイしながら、米国公立高校交換留学生として、約10ヵ月間米国公立高校に在籍し、異文化交流、相互理解を行いアメリカの高校生と一緒に学習し、単位を取得するプログラムです。

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プログラム内容
■ プログラムの特色
■ 募集要項
■ 留学費用
■ 出願方法
■ 出願から事前学習開始まで
■ 留学事前講座
■ 事前学習
■ オリエンテーション
■ 説明会

プログラム資料
■ アメリカの学校生活について
■ 高校留学における危機管理
■ 異文化適応の段階と経緯
■ 高校留学の落とし穴
■ 保護者の皆様へ
■ Q&A
■ 資料請求
■ 高校留学適性試験

プログラム実績
■ 出身校別参加者数
■ 帰国後の英語力
■ 帰国後の進路
■ 後輩へのアドバイス
■ 先輩からの便り

留学参加者
■ 英語学習に役立つホームページ
■ Page for 39th Students

●保護者の皆様へ

1 グローバリズムの視点

 現在ほど、日本の学生が留学を目的として、海外へ出向くといった時代は、日本の有史以来ありません。わずか150年前は、鎖国政策がとられ、海外の異文化が意図的に拒絶されていたことを考えれば、隔世の感があります。それは、国際交流とか相互理解とか国際親善とか世界共存などの理念がその遠因としてあげられるでしょうが、「平和」であることがその根本的な基盤となっていると言えるでしょう。
 近代国家は、産業や経済の発展に伴い、他国との関わりを持つことなく独立国家としての形態を維持する事はほとんど不可能です。産業や経済の相互依存だけでなく、文化、教育、政治、スポーツなどのあらゆる分野において、国家間の関係は緊密な情報交換や提供、さらには情報の共有などを必要としており、それはまさしく「世界共存」という考え方を絶対的に必要とする時代が到来している事を意味しております。よく言われる国際化とかボーダレス社会とかいう言葉がそれを象徴的に物語っています。好むと好まざるとに関わらず、他国との関係は必要であるということです。そして、その関係が、選択の余地なく必要とされる以上、それは、相互交流としての友好的な相互理解に基づく関係が望ましい事になるわけです。ここにいたり、国際理解や異文化理解、相互理解の必要性を実感せずにいられません。これからのボーダレス社会を生き抜いていかねばならない今の子供たちには、これら国際理解、異文化理解、相互理解という概念の延長上に、明らかに「世界共存」という理念が必要とされます。一国の利害や利益に固執せず、一国の価値観や見識で時代を論ぜず、一国の視点や視座で現実をとらえてはならないのです。すなわち、一言で換言するなら、多元的な思考回路と多様な価値観の受容が必要なのです。そして、若い時期にこれらを体得しておくことが常識の一つとして必要とされる時代が来るのも遠くはないと思います。


2 時代と時間の共有

 国際理解や異文化理解のもっとも端的な方法は、まず、そこの国に行き、実際にそこの住人として、同じ視座で生活してみるという事です。それに優る方法は、絶対ありません。そうする事によって、ただ単にその国の言語を生活レベルで学習するだけでなく、考え方の違いや価値観の相違、風習や習慣の違いなどの人間が持つ文化的な理解が可能となってきます。実は、言葉以上に大切なものが、これらのものなのです。言葉の学習は、どこでもできますし、言葉は単なるコミュニケーションの手段でしかありません。言葉の背景にある国民性や価値観や風習、習慣などの数多くの相違が、異文化理解や国際理解では最も重要なことです。特に、それが高校時代の多感な時期に、米国の高校生と「時代と時間」を共有し、同じ教室に机をならべて学習しながらとなると、その意義は大変深いものとなってきます。言葉が理解しあえるだけでなく、価値観を共有しあえるということの方が大切なのです。
 大人になってからの英語学習においては、英語という手段を通してコミュニケーションはできるけれども、価値観の共有はできずに、異文化理解においては否定的であるという社会人の方々を数多く見ることがありますが、これは、一般的に、年をとればとるほど、異文化理解や国際理解は難しくなるという事例の最たるものです。おそらく、大人になればなるほど、思考の柔軟性が欠落し、自分がそれまで生まれ育った環境での価値観から離れることができずに、異文化に対して排他的になったり、敵対的になったりします。年をとってからは、観光旅行で海外に行くのは好きだけど、ホームステイで家庭に滞在することには抵抗があるという方が多い事の原因はこの辺にあります。これだけ日本から数多くホームステイに行くにもかかわらず、参加者は圧倒的に学生であって、社会人はほとんどいないのが、その証拠です。ですから、社会人となって、大人となったら、異文化の家庭で生活することすら窮屈になってくるのです。異文化交流は、若い時であればこそ、抵抗なく受け入れることができ、若いからこそ、柔軟性のある、多様性のある価値観や、多元的な思考を身につけることができるのです。


3 高校留学の特質と危険性

 ここで高校留学の特質と危険性をそれ以外の留学と比較しながらいくつか考えてみたいと思います。
 アメリカにおける留学には、年齢や知識や学業レベルに応じて、高校留学、大学留学、大学院留学と、大きく3つに分けられます。ところが、高校留学と大学留学及び大学院留学には根本的な違いがいくつかあります。それは大学以上の留学では、残念ながら通常の日本人留学生は、事前に、単なる語学の勉強である英語コースをとる事を強要されるという事です。ですから、クラスには当然の事ながら、米国人大学生は全くおらず、日本人や東南アジア、中南米、中近東の学生と一緒に、ある特定のレベルに英語力が到達するまで、そのクラスを受講する事になります。この「語学の勉強」を目的とした学習はいわゆる語学留学と呼ばれ、語学の習得をした後、本来ならば大学や大学院などの専門分野へ進学するのですが、最近ではこの語学留学が主たる目的となって、そこを卒業することで精一杯という現実があり、むしろ語学留学が留学の中の主流という笑えない現状があります。その点、高校留学では、英語が分かろうが、分かるまいが、最初のクラスから米国人高校生と同じ教室で同じ様に学習できるのです。これによって、言葉の習得だけでなく、異文化との接点が日常のクラスで体験できるのです。すなわち、先述したとおり、語学の学習以上に大切な異文化理解や価値観の相違、習慣の違いなどを学校生活レベルで最初から体験することが可能なのです。そういう意味では、日本で最も人気のある「語学留学」は、異文化理解には程遠い環境での生活になっているわけです。
 また次に、大学以上の留学の場合、滞在方法が寮かアパートになりますが、高校留学の場合はホームステイという方法であるということです。これによって、学校だけでなく、家庭生活における日常においても、ホストファミリーの方々と英語を使う機会に恵まれるだけでなく、あらゆるホストファミリーを中心とした人的交流が生まれ、そこに生の異文化生活を体験できるわけです。確かに、大学生でも希望すれば、ホームステイをすることが可能ではあります。しかしながら現実は、半年以上もホームステイすることはありえません。何故なら、彼らにとってホームステイはあまりにも自由の効かない生活だからです。通常の大学留学生は、最初の半年間はまじめに学習していたにもかかわらず、だんだん怠惰になり、学校に行かなくなり、アパートやマンションなどの自宅が日本人留学生の溜まり場になるというのも、皮肉にも、自由の効く生活がこのような現実を生み出すのです。そのような環境の中の大学留学生は、確かにアメリカで生活はしていますが、日本人文化圏での生活と呼べるものであり、異文化理解につながる価値ある生活では全くありません。このように両者間の滞在方法の相違においても、高校留学の持つ恵まれた環境を指摘することができます。
 高校生と大学生という年齢の差は、「鉄は熱いうちに打て」の通り、異文化体験や相互理解は適応力のある時にこそ、それが精神的にも肉体的にも可能であり、また、その時期だからこそ、多くの意義を含んでいるという事に関連してきます。それは、高校留学においては、若い時期に「精神的自立」を体得できる可能性があるという事です。1年間にわたり親元を離れ、異なる環境と異なる価値観を持った異国で、1人で生活するわけですから、相当な精神力を試され、それが培われる事となります。確かに高校留学は苦しさの連続です。必要とされるものや育まれるものは、忍耐力、積極性、自立心、主体性、克己心、精神力、観察力、社交性、協調性、向上心、責任感、規律性、自制心、判断力、問題解決力など数え上げればきりがありません。それだけに総合的な人間性が試されます。
 しかしながら、これまで述べてきました高校留学の有益性は、プログラムとしてその成果が達成された時に、指摘できる一面性であります。と言いますのも、高校留学の特質は諸刃の剣であるという認識も必要だからであります。すなわち、適応力があり、若くて、可塑性があるという、一見、優れた一面性として表現されたことは、逆から述べれば、判断力がなく、未熟で、流されやすいという意味でもあるわけです。ですから、16、7歳の未熟で、判断力の無い者が異国の、異文化の、異言語下の他人の家庭で、孤立無援に生活するということは、同時に数多くの精神的試練と危険を伴うということでもあります。プログラムの結果として、成果の達成感より挫折感がより大きければ、これほどの辛さもまた無いと言っていいでしょう。ここに、高校留学の危険性と落し穴も見ることができます。その危険性と落し穴を乗り越えるための方法論が、オリエンテーションであるとセンターでは考えております。


4 もう一つの進路

 「かわいい子には旅をさせよ」と昔の人は言いました。旅には幾多の困難が待っているからこそ、昔の人はそれを薦めたのです。そこには、「艱難汝を玉にす」という考えが根底にあります。つまり、困難が人を創るということです。現在の日本の教育を見れば、偏差値教育の弊害があらゆるところに破綻を来しています。「世界の中の日本」とこれからの置かれた日本の立場を考えれば、教育の現場にも新しい試みが必要かと思われます。小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学、大学から社会へと連綿と続く、日本社会にある既存の敷かれたレールをただ走るのも一つの進路ならば、高校時代の3年間に1年間くらい、「もう一つの進路」として別のレールを走ってみれば、別の景色が見えるでしょう。別の景色を見れば、今の景色がより鮮明に見えてくるでしょう。
 遠回りに見えても、長い人生からすれば、短い、価値ある1年と断じて疑いません。子供さんの自立への旅立ちとして、この高校留学を強くお勧めいたします。

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