私は今オーストラリアで日本料理の店をオープンしようとしています。
11年前、進学校にいたのですが、ただ大学に行くことに疑問をもっていました。親父の仕事が寿司屋だったので、小さいころから実家に帰っては店の手伝いをしていました。そのような環境があったのも助けて、料理と勉強(当時は体を動かす仕事と机で仕事をするものは対極にあると考えていました)という真反対にあるものはくっつかないかという単純な疑問を考え出したころに、MNCCの優しいサポートもありまして、米国は合理的だと聞くので米国にいってみようと思いました。
1年間の留学生活は今でも人生で一番の年であったと思います。夢中であったというのが1年間の感想です。在米中はMNCCのことも忘れかけていたぐらいです。正直に書くと留学は甘いというのと甘くないという、両方だと思います。米国では辛いこともありました。楽しいこともありました。逆に日本がすごいなぁと思ったこともありました。今でも日本のほうが住みやすいです。たくさんの人種がいて面白かったです。それぞれの国の人の話を聞くのが好きでした。あまり頭はよくありませんが、英語も相当頑張ったつもりです。すぐに順応しました。卒業式では学校1番の拍手を頂きました。素直に自分を表現できる欧米人にとても好感をもちました。そして留学後、京都という純日本人の閉鎖的な世界で修行をしたこともあって、逆カルチャーショックも大きかったです。今では日本人の謙遜する文化も好きです。
今現在は、バングラディッシュの人に日本料理を教えています。根性論も先輩論も通じません。大変だけど、面白いです。料理と勉強をくっつけた何かをやりたいという高校生だった私の夢から日本料理の職人芸と欧米的な合理経営というカテゴリーに変わり、今でも悩んでいます。オーストラリアで日本料理店をやるにあたって、工事や施工などをお願いするときに日本人に頼めば簡単なのですが、やはりオージーにお願いしました。日本人の知人は相当反対しましたし、英語というハンディがあるので非常に苦労しましたが、終わってみれば色々な発見があって面白かったです。
たった1回きりの人生、80年の間に1回ぐらい死ぬほど苦労をしてもいいと思います。経験して終わってみたら、世も末だと思うぐらいしんどかったことも、いい思い出になると思います。喉元すぎればなんとか、ってやつですね。そしてまた次の挑戦ができます。私は、小学5年生から一人暮らしをしていましたが、やはり留学も大きな挑戦の1つでした。そして素晴らしい経験で楽しかったです。
11年も前にたてた「夢」の答えは、まだ模索中という、頼りない先輩からの便りとなりましたが、経験して苦労をすることができるということはとても楽しいことなので、自分の足で米国に渡って、自分の感想を持ってほしいと思います。
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