平成29年11月8日 南日本カルチャーセンター 代表取締役社長 濱田 純逸
アカデミックシニアホームステイの出発に寄せて
1974年、昭和49年に中・高・大学生を対象に実施した「アカデミックホームステイ」は、今夏の終了時点で1万7千人近い参加者を数えており、おそらく、日本で最大の参加者を誇り、最も歴史のある異文化体験・国際交流プログラムだろうと思います。発足当時は、まさかこれほど長期間に亘り、かつ、これほど多数の方々が参加するプログラムになるとは、私自身も想像すらしておりませんでした。というのも、第一回の参加者が合計157名で、その全員がパスポートすら持ったことがなく、海外に行くのも初めてであり、換金した1ドルは308円という時代です。海外渡航の自由化、すなわち、誰でもパスポートを持つことができるようになり、海外旅行に行けるようになったのが、1964年(昭和39年)であり、わずかその10年後に生まれた企画ですから、その時代、このホームステイがいかに画期的なものであったか、想像できると思います。
以来40年以上が経ち、当時、中学生で参加した子供たちが、現在、小・中・高の校長先生になったり、政治家になったり、商社マンになったり、官僚になったり、英語の先生になったり、マスコミで働いていたり、起業家になったり、様々な分野で活躍しております。そして、ほとんどの生徒が、このプログラムの参加体験が、現在の自分の原点だったと、述懐しております。それだけ、観光旅行とは違う「異文化生活の体験」というものは刺激的で、多くの示唆に富んでおり、その後の人生に深く影響するものであるということを、私もだんだんと理解できるようになってきました。
そして、これらのことが契機となり、日本における来るべき高齢化社会において、わが社はどのように関わっていくべきかという観点に立って、生まれたのがこの「アカデミックシニアホームステイ」でした。
初めて企画したのが今から20年ほど前です。すなわち、「還暦ホームステイ」という名称で、1990年代の後半に実施しました。ところが、3名程度の人しか申込まれず、催行できませんでした。しかしながら、その中のお一人である、当時、70歳を過ぎた女性の方からお電話を頂き、観光旅行には南極を含め、数多くの国々に渡航された経験をお持ちのその方の、「鹿児島では、まだまだ早かったのかもしれませんね。」という一言が、私の心に強く残りました。それで、10年ほど前にも「シニアホームステイ」の名称で商品化しましたが、その際も、数名の申し込みで終わり、催行に至らず、私の中では「まだまだ早かったのか」という思いだけで終始しました。そして、それからさらに10年が経過し、今回が三回目のトライでした。
私は現在65歳で、いわゆる団塊の世代と言われる方々の二、三歩後ろを歩いており、これまでも私の人生のすべてにおいて、団塊の世代の生き様を、後ろから、現実に、そして直接、眼前で眺めながら生きてきました。そして、戦後の日本社会のほとんどすべての事象は、この「団塊の世代」を対象に実施されたもの、「団塊の世代」によって生まれたもの、「団塊の世代」が作り上げてきたものであり、「日本の高齢化社会」の今後二、三十年も、全て彼らの手中に存在していると、私の経験から考えております。彼らが70歳代をどう生きるのか、80歳代では何をしているのか、そして、90歳代でどんな日常生活を送っているのか、彼らの高齢化に伴う生活の有様と行先を、私どもの世代以降の人たちが眺めながら、後に続いていくであろうというのは、30年前も、30年先も変わらないことであると思っています。
実は、このような考えが私の背景にあり、それが「アカデミックシニアホームステイ」を実施する最大の理由です。つまり、この40年以上、これまでの参加者たちが帰国後、異文化の刺激的な経験に影響されたように、高齢化を迎えたこの団塊の世代の方々が、異文化を体験されると、その刺激が彼らの老後の生活にどのような変革をもたらせるのか、極めて興味あることです。多くの方々は、感受性の強い若者たちの異文化体験は、その後の人生に深く関与するということは理解できても、引退して、老後を過ごす高齢者の方々が、わずか10日前後の異文化生活で、その人生に大きな影響を受けるとは、信じがたい話と一笑に付されるかもしれません。でも、私自身が同年齢であり、現地の方々と生活目線で語り、市民生活同様の時間を過ごせば、今でも少なからず大きな影響を受けます。日本に帰ったら、自宅の花壇の有様を変えようとか、食事の内容を考え直してみたりとか、余暇の時間の過ごし方にアメリカ人のそれを導入してみようかなどと、考える自分が今でもいるのです。
今回、このプログラムに参加される皆様は、間違いなく九州で初めての、ひょっとしたら、日本で初めての、一般募集に応募された「シニアプログラム」の参加者たちだろうと思います。そして、私にとりましては、「偉大なるパイオニア」「敬意すべき開拓者」「高齢化社会の先駆者」と形容される、尊敬すべき方々に他なりません。
1800年代当初、アメリカではジェファーソン大統領の指示により、ルイス・クラーク探検隊(Lewis & Clark Expedition)が組織され、西部開拓の礎が開かれ、「開拓者精神(Frontier Spirit)」と言われる、アメリカ人の国民性とも言われるような気質が醸成されていきます。この探検隊は幾多の困難を乗り越え、2年以上の年月を経過し、人跡未踏の自然の中を踏破して生還するわけです。彼らの歩いた道はオレゴントレイル(Oregon Trail)と言われ、現在でも、様々なところに彼らの足跡や史跡が残されており、多くのアメリカ人の尊敬を受けております。私には、皆様方がこの探検隊のようにも思えてきます。このプログラムで体験する様々な異文化を、帰国後、日本の日常生活の中に生かされ、来るべき日本の新しい高齢化社会の先駆者として、その轍を残していただきたいと思います。
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