〜 2014年度パンフレット掲載分 〜
将来に向けての準備運動 佐賀県城北中学校2年 田浦 龍之介
1カ月というのは、僕はホームステイのパンフレットを見たり、説明会に行ったりしていたときは、とても長いものだと思っていた。しか
し、実際は逆だった。それは、とても短くて、こんなに1カ月が短く感じることはこれまでも、これからもないだろう。しかし、それはこ
のホームステイがそれほど充実していたとも言える。そして、その充実というものは、たくさんの人々によって作り出されているものであ
った。まず一番に両親へ感謝したいと思う。両親がいなければ、まずホームステイへ行くという話すら出てこなかったからだ。行くための
準備から何までサポートしてくれた。そして、第二は現地の人々です。ホストファザーのフレッド、引率の先生、アメリカ人の先生、直接
係っている人たちだけでも多いのに、間接的に係っている人も含めると一体どれだけの数の人々のおかげで成り立っているのか見当もつか
ない。その人達のおかげで、できるようになったり、気付いたりしたことがたくさんある。でも本当の勝負はこれからだ。この経験を活か
さなければ、何の意味にもならない。このホームステイを実践のための準備運動と思うことにした。学業、そしてその後の社会へ出たとき
まで役に立つ準備運動。このホームステイは、これからの生活に生かすことができて、初めての成功だと僕は思う。
皆さんに伝えたいこと 沖縄県美東中学校3年 安座間 エミナ
私は、アメリカの文化や国や言語が好きで、それを学ぶためこのホームステイに参加しました。しかし、同じ地に行くことになっ
た24人とあまり仲良くなれず、ホストファミリーとも言葉が通じず、日本の家族が恋しくなり、最初はホームシックになってしまいました
。毎日日本の家族のことを考えてばかりで、何をしても楽しくありませんでした。だけど、ファミリーが話をしているのを聞いていると、
何を言っているのか少しずつ分かってきて、コミュニケーションもとれるようになってきました。そして、友達とも仲良くなったりして、
楽しい事ばかりが後半には続きました。毎日がとても楽しく感じて、日が過ぎるのもあっという間でした。帰る頃には「あと1カ月欲しい
」と思っていました。最後にホストファミリーとお別れする時は、今までの思いがこみ上げてきて、とても悲しくなりました。帰る時にな
って、「このホストファミリーでよかった。とてもいい人たちだった」と思っていました。これから、ホームステイに行く皆さんに伝えた
いことがあります。絶対にホストファミリーとのコミュニケーションを忘れないでください。私は、最後になってとても後悔しています。
もっといっぱい会話をしておけばよかったと思っても、もう二度と戻れません。私はそんな気持ちでいっぱいです。最初は日本に帰りたく
てしょうがなかった私が、今ではもっとアメリカに居たいという気持ちでいっぱいです。とても大きな体験をしたと思いました。ホストフ
ァミリーがどこにも連れて行かなかったとしても、悪口は言ってはいけないと思います。なぜなら、私はホストファミリーが受け入れてく
れただけで幸せだと思うからです。そんなファミリーの気持ちをふみにじりたくはないと思います。一生に一回行けるかも分からないアメ
リカに連れて行ってくれた沖縄市と親に感謝したいと思います。
日米の違い 鹿児島県母間小学校6年 竹山 瑞香
ホームステイを終えて感じていることは、言葉が分らなくてもお互いの心が通じることで、心の間に絆ができるということであ
る。それと、意外だったのは、アメリカの食べ物が、みんなが言っているように「絶対おいしくない」というわけではないということだっ
た。私の学校の友達は、それが理由で、将来もアメリカには絶対行きたくないと言っている。だけど、実際のところはおいしかった。それ
と、法律についてだ。アメリカの法律は子どもに対しての考え方が日本とは違い、「スクールバスが停車している時は絶対にスクールバス
を追い越すな」というような法律があると聞いた。アメリカのスーパーマーケットでは、棚から商品が落ちていたり、手に取った商品を別
の場所に置いたりしている人がいた。だから店内が散らかっているという所がけっこうあった。その他にも様々な日米の違いを見つけた。
その中には日本人が見習わないといけない所もいくつかあった。だから、ホームステイで学んだことを、家や学校、公衆の場などで活用し
たいと思っている。
言葉で伝える文化 長崎県佐世保北中学校3年 神宮 茉由子
アメリカでお店などに行って、店員の人と目が合うとほとんどの人が笑顔を見せてくれる。お店を出る前には必ず”Have a good
day.”と言ってくれる。”Thank you.”と言うと、”You’re welcome.”と返してくれる。「ありがとう」と言って、反応してくれるのは
嬉しいし、「よい1日を!」と一人一人に言ってくれたらとても気持ちがいい。日本では分かりきったことは言わないし、「空気を読む」
とよく言うけど、アメリカでは、言わなければ何も伝わらない。全て伝えるとなると、とても大変だし、伝わらなかったときにイライラし
てしまう。でも、言葉で伝えるという文化のおかげで、私は1日に何回も”Thank you.”(ありがとう)という言葉を使った。大きなこと
でも小さなことでも何かしてくれると必ず”Thank you.”と言った。ほめられると、否定したくなったけど、言葉が分からなかったので”
Thank you.”と言うと、”You're welcome.”と返してくれた。言葉が分かっていたら、”No.”と言っていたかもしれないけど、”Thank
you.”しか知らないおかげで、相手の言葉を素直に認めることができた。また、”Yes”と”No”はよく考えて使うということを学んだ。
「ピーナッツバターは好きですか?」と聞かれたので、”Yes.”と答えようと思ったけど、毎日ピーナッツバターのサンドイッチになった
らどうしようと思い、”No.”と答えた。「少し甘すぎるから」と言うと、その日から甘いものが嫌いと認識されてしまった。嫌いでもな
くて、好きな気持ちの方が強いのであれば、”Yes.”と言うべきだと思った。ホストマザーはよく質問をした後に、”Yes or No.”と聞い
てきた。「はい」か「いいえ」かしか選択できないので、最初は答えるのに時間がかかった。でも慣れてくると普通の会話でも「まぁまぁ
」という答えを使わなくなった。「おいしい?」と聞かれても、そう思わなかったら、”No, I don’t like this.”と言えるようになっ
た。また、優しいホストシスターやホストブラザーが、いろんなことを聞いてくれて、たくさん自分たちの話をしてくれた。私もたくさん
話しかけたかったけど、話したい分だけの英語力がなかった。もっと日本語と同じように英語を話せるようになって、今度会うときは、シ
スターやブラザーが話してくれたようにたくさん話がしたい。
自分と他人の幸せ 大分県大東中学校1年 熊谷 陽人
アメリカ人は自分のことを一番に考えていて、自分が一番嬉しい、楽しいことを優先していると感じました。しかし、それはアメリ
カ人が自分勝手ということではないと思います。僕達は終日研修でサンフランシスコに行きました。ここには沢山のストリートミュージシ
ャンがいて、アメリカらしさを感じました。その中で打楽器をたたいている人が、それに興味を持った男の子を呼び寄せて、たたき方を教
えてあげていました。その2人はとても楽しそうに叩いていました。子どもがお金を渡そうとすると、ストリートミュージシャンは断って
いました。これを見て、自分の幸せこそが他人の幸せにもつながっていることを実感しました。こういうことこそが、体の不自由な人達に
でも、生活しやすく自立しやすい町を生み出しているのだろうなと思いました。日本では先に相手のことを考えすぎて、遠慮して、最終的
に時間が過ぎてしまい、何も出来なかったということがよくあると感じます。実際僕もその中の一人です。相手にとって幸せでないことは
、自分は最高の幸せを持っていないということを感じたので、これからはお互いみんなが楽しく感じられるような生活を生み出せることを
目指していきたいと思いました。僕は、この自然と幸せが広がっていくようなアメリカが大好きです。
たくさんの人への感謝 熊本県上天草高校1年 關 和花
ホームステイでは何でも自分でしました。洗濯やランチ作りなど、いろんなことをして、自立できました。日本では母がしてくれ
るので、甘えていました。今度からは何でも自分でできるようにしたいです。ホストマザーは、私のことを名前で呼んだり、ハニーと呼ん
だりしてくれました。ホストシスターと同じように接してくれて、とても嬉しかったです。私はなかなか”Mom”と言えなかったのに、マ
ザーはずっと優しく私の名前を呼んでくれました。もっと早くMomと呼べていたらよかったなと思いました。帰国日、空港に行く前に手紙
とアルバムをもらいました。その手紙には、”I love you.”や”You are little sister.”などと書いてありました。アルバムには、今
までの楽しかった写真が貼ってあり、一つ一つメッセージやその日にあった出来事が丁寧に書いてありました。帰国の前日に、ホストファ
ミリーが何かしているのを知っていました。私には、「シークレット」と言っていましたが、私のために作ってくれたと知って嬉しかった
です。私はホストファミリーにそれだけお返しができたのかと疑問に思いました。このホームステイは、市の援助と私の親の援助で来まし
た。小学校の頃からずっと行ってみたいなと思っていました。誰でも体験できることではない、貴重な体験です。私が体験したことをでき
るだけ多くの人に話したいと思います。すごく楽しく、勉強になり、時間が過ぎるのが早い1カ月でした。
始まりと終わりの朝 鹿児島県国分中央高校1年 宮内 舞花
思えばこの1カ月、初めのうちは長いんだろうなと考えていたけれど、実際に過ごしてみた今、出発前の自分とは違う自分にな
ったのが目に見えるくらい分かります。「今日からがスタート」と期待と不安でいっぱいだった朝と、「今日で終わり」ということが分か
っていた朝、この2つの朝は何が違っていたのでしょうか。「今日からがスタート」の朝、私は準備ばっちりというわけでもなく、やっと
アメリカに行ける嬉しさ、ホストファミリーと会える楽しみ、その片隅で私の英語で会話することができるかという不安もありました。そ
んな中、家から空港へ向かう40分、この40分が終わってしまったら、日本の家族と1カ月も会えない等と考えていました。家族と離れる辛
さを今でもはっきり覚えています。これが私のホームステイの第一歩です。そして、サンフランシスコに着いて、バスで約2時間かけてLos
Banosへ行き、ホストファミリーと会いました。ホストファミリーと会うためには、バスから降りる必要があります。ここで、私は少し足
が止まってしまいました。なぜならこのときは不安でいっぱいだったからです。けれど、降りなければ何も始まらない、この地で頑張ると
決めたのは私自身です。それを思い出して、勇気を出してバスから降りファミリーに会いました。私はこの家族に出会えて、1カ月だった
けど、たくさんの思い出もできたし、いろいろなことが学べました。何があっても一生ホストファミリーのことを忘れません。そして、「
今日で終わり」の朝、私は家を出たくなくて、寂しくて、泣きじゃくってしまいました。そのため、集合時間に遅れてしまいました。集合
場所についても、車から降りてしゃがみこんで泣いてしまいました。家族みんなと抱き合いました。バスに乗ったら、ファミリーと別れな
ければならないと思うだけで、私は自らバスに乗ることができず、アメリカ人の先生に手を引かれて乗りました。バスから見えるファミリ
ーの顔。見るだけで、今までの思い出がよみがえってきて、涙があふれてくるだけでした。だけど、きちんと別れたかったので、たくさん
のサンキューの気持ちを込めて手を大きく振って、私はLos Banosから離れていきました。
マザーの涙 長崎県西彼中学校3年 一瀬 竜樹
あっという間に毎日が過ぎていって、アメリカでの生活もあと少しになってきた頃は寂しさがありました。生活にも慣れてきて
、ホストファミリーとも仲良くできたのにお別れしないといけないので、本当にあともうちょっといたかったです。2歳のホストシスター
が、ある日、ホストマザーに”Where is my brother?”(お兄ちゃんはどこ?)と、僕のことを本当の兄弟のように思ってくれていること
を、ホストマザーから聞いて、本当に嬉しかったです。帰国の前日、ファミリーからプレゼントをもらいました。ホストファミリーと今ま
で行ったところの写真や遊んだ時の映像をDVDにしてくれたものなど、さまざまなものが入っていました。その時は、つい泣いてしまいま
した。本当に楽しかったので、涙が止まりませんでした。ついに帰国の日が来て、ファミリーともお別れになって、空港に行くバスの中で
ホストファミリーに手を振った時、マザーが泣いていたのを見て、自分はホストファミリーに何かお返しができたんだなと思えました。
違いを受け入れる姿勢 沖縄県沖縄尚学高校1年 庄 夏澄
アメリカに行くのは今回が初めてだった。どれも初めて見るものや知ることばかりで、約1カ月間、毎日が驚きの連続だった。ホ
ームステイも初めてだったので、約1カ月も家族を離れ、文化も言葉も違う、それも全く知らない人と暮らすことにやはり多少不安があっ
た。私は英語が得意な方ではなく、言いたいことが上手く伝わるかが一番心配だった。しかし、実際は言語はそれ程大変では無かった。分
からなければ書いてもらえるし、伝えたいことがあれば辞書もある。私にとって一番大変だったのは、自分自身の性格に関することや文化
を受け入れることだったように思う。私がホームステイした家には、近くに男の子が住んでいた。ある日、その子と遊ぶ時、「何がしたい
か。」と聞かれたので、したいことを言うと、その子が突然走り出した。彼の家まで道具を取りに行ってくれるのかと思っていたら、私の
家から道具を取ってきたので、私は驚いた。その時、私は考えられないと思ったが、それは日本でのことであって、アメリカでは違うのだ
と今ではそう思う。アメリカには、ひとつの物を複数の人たちで共用するという認識があり、それは当たり前のことなのだ。図々しいので
はなく、そういう文化であることを受け入れることが必要なのだと気付いた。それからもアメリカの人々の行動や考え方に驚くことはあっ
たが、そのことを受け入れようと努める姿勢ができたと思う。私の当初の目的は、「日本に帰ってからの学習に活かせるように英語を使っ
てくること」だったが、そのことに気付けたことの方が私にとっては大きいと思う。楽しかっただけでは終わらないように、ここで気付け
たことを今後も活かしていきたい。
トライする楽しさ 宮崎県東大宮中学校3年 椎葉 晴香
今回このプログラムに参加して大切なことをたくさん学べたと思います。トライすること、自分の意思をしっかりと伝えなければ
相手には分かってもらえず、誤解が生まれてしまうということ、表情の大切さ、できないことでも頭の中でできると思えばできるものだと
いうこと。まず、トライすること、それは全てのことに言えると思います。アメリカに来た1週間目くらいまでは、見たこともないような
アメリカの食べ物はあまり食べたくありませんでした。でも、ホストファミリーが「トライしてごらん」と言ってくれたおかげで、今まで
知らなかった、たくさんのおいしい食べ物に出会えました。また、教会で野球をする時間がありました。私がバッターになった時、教会の
男の人に「I can’t.」と言いました。すると、その人は、「頭の中でI can, I canと思えばできるよ」と言ってくれました。それを聞い
た時は半信半疑でしたが、ヒットを打つことができて、知らない女の子から「Good job.」と言われた時に、気持ちの持ち様で結果は変わ
るんだということを学びました。次に表情の大切さです。私が車でぼーっとしていると、マザーから「悲しいの?」と心配されたことがあ
りました。その時に、表情はその時の気持ちを直接表しているんだな、だからアメリカ人はとても表情が豊かなんだなと思いました。そし
て、自分の意思をしっかり伝えなければ、相手には分かってもらえないということです。アメリカ人の会話に、よく「Yes or No」という
言葉が出てきます。私はそう聞かれたときに、「どちらでもない」という答えはないのだということに戸惑い、マザーを困らせてしまった
ことが何回かありました。その時に、自分の意思表示はとても重要なんだということを、アメリカに来て何度も感じました。この1カ月間
で学んだ数え切れないほどのものを、これからの日本の生活で役立てていけるように、しっかりと意識したいです。
私が乗り越えたもの 熊本県矢部高校2年 本田 千景
私は数え切れないくらいの素敵な体験と発見、新しい自分を知ることができました。ホームシックになった時、私はホストファ
ミリーのパソコンから日本の友達や家族と連絡を取っていました。一度連絡を取り始めると止まらなくなり、ホストファミリーとうまく話
せなかった時など、パソコンに逃げるようになっていました。連絡を取っていると、余計に恋しくなり、ホームシックが増すばかりでした
。そんな日が3、4日続き、私はふと「何をしにここまで来たのだろう」と考えるようになりました。そこで、自分のやっていることはとて
ももったいないことだと気付くことができ、それからは一切パソコンにも触らないようになりました。するとホームシックもおさまり、毎
日何かに挑戦しようという気持ちが生まれました。また、私がこのホームステイで大切だと思ったのは、笑顔と挑戦と素直さです。私は英
語が好きだけど、得意ではありません。だから、なかなか伝えたいことをきちんとした英文にすることができませんでした。しかし、頭で
考えた英文が間違っていないか不安で口にしないのはもったいないと思ったので、知っている単語、簡単な表現を使い、積極的に現地の人
とコミュニケーションを取りました。すると、英語が得意ではない私の周りにたくさんのアメリカ人がいて、一緒に楽しい時間を過ごすこ
とができました。だから私は、いくら英語がしゃべれても口にしないと意味がないし、いくら英語がしゃべれなくても挑戦することで英語
が得意な人よりも濃い体験ができると思いました。私は初め「日本の友達はみんなで遊んでいるのか」などと少しうらやましく思っていた
けど、ホームステイを終えた今は、「みんなには体験できないことをたくさん得ることができた」と、行く前と行った後、考え方、物事の
見方、価値観が変わったととても感じます。
第二の父 佐賀県佐賀大学文化教育学部附属中学校1年 北島 侑和
28日間と聞くと、ふーん長いねぇと思うけど、「百聞は一見に如かず」すごく早い。僕のホストファミリーは、ファザーが1人と
ペットの犬1匹で、人懐っこくて可愛い犬だった。もちろんすぐに打ち解けたわけではないが、一歩ずつ打ち解けていった。初めはもうチ
ンプンカンプンの早口な英語についていけず、4日目まではホームシックになってしまった。その時は「何でこんなところに来たんだろう
。夏休みを損した」と思った。でも、だんだん楽しくなっていった。ホストファザー1人だけど、ケーススタディにあったやつと同じかな
と思うと、何でも十人十色だと思った。ホストファザーはよくしてくれた。中国の文化が好きらしく、十二支や大きく福と書かれたカレン
ダーやいろいろ持っていて、箸もパーフェクトに使っていた。そして、僕も折り紙やおにぎりなどを紹介した。期間中は、毎日日記を書い
ていたのだが、日記の隅に帰国まであと何日か、カウントダウンを書いていたが、初めは数えるのも嫌だった。ただ早く帰りたかった。で
も、過ごすうちに、あと50年くらいいたいと思うようになった。帰国の日には、ホストファザーとお別れのハグをした後、号泣してしまっ
た。会えない、会ったとしても3年後、それより後かもしれないと思うと、心がきゅっと、つーんとなって、心細く寂しくなった。手を振
って、ファザーが見えなくなるまで”Thank you!!”と叫んでいた。その時、僕は彼が第二の父であるかに思えた。ファザーのことを思う
と、涙が出てくる。手紙を送り合って、良い家族でいたい。僕に将来子どもができたら、ぜひこの体験をさせてみたいと心から思う。でき
ればまた渡米し、ホストファザーや先生方にこの気持ちを伝えたい。
共感の力 大分県大分豊府高校1年 山下 真太郎
このホームステイの中で学んだ最も大きなことは「共感」の力強さだ。サンフランシスコからステイ地に向かうバスの中で、話題
になったのは、「外国人の中に友人を作ることができるのか」という不安についてだ。自分たちの英語力では、まだ十分に心のうちを伝え
ることが出来ないのではないかと全員が不安に思っていた。ステイ地に到着して、ホストファミリーと初めて顔を合わせた時も、その不安
を拭い去ることは出来なかった。親切に話しかけるホストファミリーにも、初めは緊張と言語の壁に戸惑い、対応することができなかった
。しかし、ホストファミリーの車に乗り、これから自分の家になる所へ向かう時に、自分の中で変化が起きた。車内では大きな音で音楽が
流れていた。そして、ホストマザーは私に音楽が好きなことを教えてくれた。私は音楽にとても関心があるので、ホストファミリーに自分
の好きな音楽を説明したり、楽器を演奏していることなどを話した。崩れた英語だったとは思うが、ホストファミリーは理解してくれた。
そして、こんな曲はどうかと私に紹介してくれたり、僕の演奏する楽器について質問してくれたりした。私は自分なりの英語表現で楽器に
ついての説明をしたり、家に着いてからは日本の音楽や自分の好きな音楽の紹介をしたりして、自分のことを相手に伝えることが出来るよ
うになっていた。この様に、私は言語が不完全でも音楽という共通するものをもとに、「共感」を生み出すことに努めた。自分のホストフ
ァミリーだけでなく、ステイ地で会った何人かの人々とも、音楽を基に「共感」を生み出すことができた。そうして生まれた「共感」の力
はとても強い。それが生まれたことにより、相手を一人の人間として見ることができるようになり、人間関係を作ることがとても容易にな
るからだ。実際に、私は「共感」が生まれたことで、自己表現ができるようになっていき、ホストファミリーや出会えた人々との繋がりを
強くすることができた。世界を繋ぐ「共感」の力強さを知ることができたことは、とても大きな収穫となった。
心の葛藤と変化 鹿児島県国分中央高校3年 永島 桃子
空港からステイ地に着くと、みんなのホストファミリーがボードを持ちながらお出迎えしてくれて、とても嬉しかったです。これ
からどんな1カ月が待っているんだろうとワクワクしました。だけど、私のファミリーは、私が考えていたよりも外出しない家族でした。
最初の1週間は教会のイベントの準備などで忙しそうで、学校の後や土日も毎日教会で何時間も待ってとても退屈だったけど、この1週間を
乗り越えれば楽しいことが待っていると思い、耐えました。しかし、2週目、3週目になっても、学校の後は、マザーの娘の家で待って、帰
って、お風呂入って、テレビ見たりして、寝るという毎日が続きました。さすがに3週間目の週末になると耐え切れなくなり、思い切って
明日ショッピングに行きたいと言いました。そしたら、多分連れて行けると言われ、すごく嬉しかったです。しかし、翌日、1時になって
も、3時になっても、5時になっても、ショッピングに連れて行ってくれる気配はなく、とても悲しかったです。連れていけないなら、それ
はそれで一言今日は無理と言って欲しかったし、忙しいわけでもなく、みんなテレビを見たり、パソコンをしたり、ゲームをしたりしてい
たので、余計悲しくなりました。私は日本に帰ったら、友達や親にすごく楽しかったというお土産話をするつもりで来たので、友達にどん
な話をしよう、親たちも、私の楽しかったという土産話を楽しみにしているだろうなと思うと泣きそうになりました。何も話すことがない
、楽しくなかった、と言われると親も悲しむだろうなと思うと、余計泣きそうになりました。だけど、高いお金を出してまで行かせてくれ
たので、なんとか楽しまなきゃと思いました。けれど、4週間目になっても、ショッピングに連れていってくれなかったので、ターゲット
に行きたいと言ったら、娘の送り迎えがあるからできないと言われ、本当に逃げ出したいと思いました。最初のオリエンテーションで、他
のファミリーと自分のファミリーを比べてはいけないと言われたけど、やっぱり友達の楽しい話を聞いたりすると、比べてしまう自分がい
て、すごく自分が嫌になりました。ファミリーは私を受け入れてくれたし、とても優しかったのに、出掛けないというだけで、悪く思って
しまう自分がすごく嫌でした。帰国の朝、洗面所に行くと、ホストブラザーからの手紙が置いてあり、すごく感動しました。「あなたは私
たちの家族です」と日本語で書いてあり、本当に今までの思いを申し訳なく思いました。そして、とても嬉しかったです。このホームステ
イを通して、いろんな思いを学ぶことができました。この経験を胸に、これからの人生に生かしていきたいと思います。
挑戦することでの結果 大分県岩田高校1年 門田 優太
初めて海外に行くことにすごく不安を感じ、「行く」と自分の中で決めるのに時間がかかりました。両親には「いい経験になるか
ら」と勧められていたのですが、正直、絶対行きたくないと思っていました。だけど、アメリカに行って挑戦することの大切さを学びまし
た。アメリカに行くと決めた時、「どうせなら色々なことをやってみよう」と思いました。それで、アメリカでホストファミリーから「し
てみないか?」「行ってみないか?」と尋ねられると、ほぼ全てに「Yes」と答えました。今までの自分なら断っていただろうと思うこと
でも、「Yes」と答えました。そして、いざ挑戦すると、ほとんどがいい方向に転がりました。例えば、「ホストファザーのお母さんが誕
生日だから、行ってみるか?」と聞かれ、「Yes」と答えました。もちろんですが、周りは全員アメリカ人。しかも身内なので、みんなは
お互いに知っています。だから、なかなか会話に交じることは出来ませんでした。ならば、と思い、一人一人に話しかけてみました。みん
ないい人ばかりだったので、じっと僕のつたない英語に耳を傾けてくれました。本当にありがたかったです。そして、僕が家に帰る時、み
んなに「Thank you.」と言われ、「来て良かった」「挑戦してよかった」と思いました。このように、ちょっと大変なことでも挑戦するこ
とで、いい結果を得られました。このことが、僕がアメリカに来て学んだ一番大きなことです。
当たり前が当たり前でない環境 佐賀県金泉中学校3年 土井 野乃花
アメリカに向かう飛行機の中で私は不安より期待のほうが圧倒的に多かったです。でも入国審査の時に英語で聞かれたことが全く
分からず、これから1カ月間やっていけるのだろうかとすごく不安になりました。ウェルカムパーティーでも英語が全く聞き取れずさらに
不安は募り、ホストファミリーとの簡単な会話もできずにとても悔しかったです。そのうち部屋に閉じこもるようになり、ホームシックに
なりました。その時に、日本にいて当たり前にしてきたことが当たり前じゃなかったことに気付きました。洗濯が毎日できることや洗濯物
の色分けしなくていいこと、お風呂に好きな時間に入れることや言葉が通じること、全部日本を離れてみないと分からないことばかりでし
た。日本を離れてみて日本と日本人のすごさにも気付くことが出来ました。それは、まず「物」についてです。ホストファミリーの掃除機
とピーラーはものすごく使いにくくて、日本のものは性能がいいんだなぁと感じました。2つ目は、いろんなことに関してきっちりしてい
るところです。時間に関してもそうですが、それ以上に驚いたのはおつりのことです。9セント返されるはずのおつりが、10セント返され
たことに、ラッキーと思いつつもかなり驚きました。アメリカ人と接していく中で、日本人のすごさにも気付くことができました。アメリ
カ人は大体の人が相手の考えを察することをしませんでした。困っていてもちゃんと「困っているから手伝って欲しい」と言わないと何も
してくれませんでした。ずっと日本で暮らしてきた私にとっては、冷たい気もしましたが、これが文化の違いなんだぁと改めて感じました
。アメリカで1カ月間生活してみて、アメリカ人のいいところを見つけることもできました。アメリカ人は全く知らない人でも目が合えば
笑ってくれるし、Hiと言えば、当たり前のようにHiと返してくれるので、とても嬉しかったです。日本人にもこんなところがあればいいの
にと思いました。毎日アメリカで生活していく中で、いろんなことを知ったり、学んだりしました。
アメリカで驚いたこと 宮崎県五十市小学校5年 谷口 透
アメリカで一番びっくりしたのが洗濯でした。日本は毎日するけど、アメリカは4、5日に一回だそうです。また、あらためて、ア
メリカは土地が広いと思いました。駐車場もとても広いし、建物もすごく大きいものばかりで、日本ってちっちゃいと思いました。でも日
本は小さくてもいい国です。僕が一番困ったのが、いろいろな物の単位です。例えば、長さだとフィート、重さだとパウンド、初めてきい
た言葉もいっぱい出てきました。そのため、すごい大きいものが出てきたりして、とても大変でした。僕の目標はアメリカ人と英語でコミ
ュニケーションをとることでしたが、手ぶりや表情で伝えてくれて、とても分りやすかったです。アメリカ人はとても自己主張が強く、普
通のことを話していてもけんかしているような声の大きさや雰囲気のときがありました。アメリカはとても楽しかったです。アメリカに無
事来れたのは家族のおかげで、いろんな準備や言葉を教えてくれたので、それが役に立ちました。この学習で、英語や文化以外にも家族の
大切さなど、色々なものを学びました。
ホストファミリーとの出会い 宮崎県生目台中学校3年 長谷 夏帆
この1カ月で感じたことは「人と人との出会いの大切さ」です。この1カ月で数え切れないほどの人たちと出会いました。一人一
人個性があって、色々なことを私に教えてくれました、特に出会えて良かったと感じるのは、ホストファミリーです。私のホストファミリ
ーはマザーのヨランダとファザーのボブの2人で、小さなマンションに住んでいます。出発前にホストファミリーの通知がきた時、正直私
は少しショックを受けました。子どもは成人していて一緒に住んでいないし、ペットもいない。私が想像していたようなホストファミリー
ではありませんでした。でも、一緒に1カ月暮らして色々なことに気付きました。ペットや子どもがいないから、いつも私を気遣ってくれ
たし、部屋がせまいからこそ、相手がどこにいるのかすぐ分かります。ホストファミリーは私のことを本当の娘のようにかわいがってくれ
ました。一緒に映画を見たり、枕投げをしたり、日本語をファミリーに教えたり、たくさんの思い出をホストファミリーと一緒に作ること
ができました。たくさんの人と出会って、たくさんの思い出を作ることができたのも、このホームステイに参加したからです。今は胸をは
って、このホームステイに参加して良かったと言えます。正直、私は出発前、本当にホームステイに参加して良かったのかと考えていまし
た。受験生の夏は勝負の夏、そんな夏に中3の私はアメリカに渡るからです。でも私はホストマザーと一つの約束をしました。「絶対志望
校に合格して、またアメリカに帰ってくる」という約束です。これから半年間必死で勉強して、マザーとの約束を果たしたいです。絶対志
望校に合格して、大好きなアメリカの家族に会いに行きます。
文化や言葉の教え合いの楽しさ 沖縄県伊良波中学校1年 平良 航大
このプログラムに参加した理由は、お父さんに勧められたからです。お父さんもこのプログラムに参加したことがあって、その体
験談を聞きました。「最高だった」「とっても楽しかった」などという声が聞えてきました。参加した目的は、親から離れて身の回りのこ
とを自分でできるようになることと、何にでもチャレンジしてメンタル面を鍛えること、英語の上達、いろんな人と接することです。到着
して最初の週は緊張したり、不安があったりして大変だったし、多分ホームシックにもかかっていたと思います。1日が3日くらいに感じて
、とても長い1カ月だなと思いました。でも、2週目からは違って、あっという間に1日が過ぎていきました、ホストファミリーのお手伝い
をしたり、会話をしたり、映画を見たりして、楽しいけど、やっぱり楽しい時間はとても早く過ぎていきました。日に日に短くなっていっ
ているような気もするし、家族との写真も撮れないまま、日が経ってしまいました。でも、どこにも行かなくても、ホストシスターやブラ
ザーと一緒にアメリカのことや日本のことを話したりするととても楽しいことに気づき、アメリカのことについて、ジェスチャーや片言の
英語で質問したり、自分から日本のことを話したりしました。国の文化も言葉も違う、こういう教え合いがとても大事だと気づきました。
ホームステイの実態調査「参加者の意見」もご覧ください。
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