15歳の米国人中学生の留学体験記。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。
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筆 者: 濱 田 純 逸 ●はじめに日本人ほど、「国際化」という言葉を多用し、「国際」「国際的」という言葉が好きな民族はいないといっても過言ではない。その証拠に、例えば、学生募集では「国際」という名のつく大学名、学部名、学科名であれば、増員に拍車がかかり、「国際交流」プログラムを実施すれば、生徒が集まるというのである。その結果、国際交流プログラム、国際交流事業、留学、ホームステイが華やかとなる。全国津々浦々、至るところで「国際化」という言葉が使われ、世界の様々な国々と、様々な国際交流事業が行われることとなる。 これは日本における、ある15歳の米国人中学生の留学体験記である。日本という国で、日本人と生活し、日本文化を体験する彼と、彼と関わりを持つ方々が体験した異文化交流の記録である。そこには多くの日本人が抱く「国際交流」という華やかさはない。「国際交流」と共生する、「国際親善」なる皮相的、かつ理想的「絵に描いた餅」のひとかけらもない。ただ、「異なること」から発生する摩擦と困難と忍耐と、異文化であるがゆえに共有できない両者間の現実が、冷酷なほど存在するだけである。「異文化生活」は、「戦い」である。「異文化理解」は、「不遜」である。「相互理解」は、「傲慢」である。そして、これらの認識を経て生まれるのは、異国間、異文化間、異民族間、異言語間、異宗教間等において基調となるものは、「相互間の尊敬」でしかありえないということである。 国際交流や国際親善という美名の下に、どれだけ多くの忍耐と困難が潜在しており、どれだけ多くの血が流れ、辛酸を嘗め尽くすほどの体験が隠されているかを、多くの日本の方々は知らない。この記録にある米国人中学生の日本での体験を通して、それらのことを考えてみたい。そして、同時に、これらの体験者には満身創痍の苦難があるからこそ、「異文化理解」「相互理解」は価値のあるものであるということを指摘したい。 |
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