アメリカの小学校(わんぱく留学)・中学校(ジュニア留学)に、体験入学し、現地の児童と一緒に授業を受ける小学生のためのホームステイプログラムの現地からの活動報告です。

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2012年 わんぱく留学/ジュニア留学 活動報告
  

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Corning 活動レポート 04月04日(水) - 05日(木) 【写真】

  辺りが真っ暗な中、生徒が続々とスタディセンターに集まってきた。朝5時の集合にもかかわらず、遅れて来る生徒はほとんどいなかった。別れの時間というのはいつも来るものだ。みんな、スーツケースをバスのトランクに詰め込み、そこからはホストファミリーとのハグが始まった。声を上げて泣くモモカ、コトネ、アユミが印象的だった。泣いている生徒を見ると、言葉の不自由さを感じながらも、短期間でホストファミリーと本当に近い関係を築ける事ができたのだと思った。ただ、泣かない生徒がホストファミリーと近い関係を築けなかったと言っている訳ではない。なぜなら、泣いて感情を表す人と、違う事で感情を表す人がいると思うからだ。十人十色という言葉があるが、まさにその通りだと思う。全ての生徒にとって今回のホームステイの体験が良いものであった事を心から願う。

予定時刻よりも少々早く、皆を乗せたバスがコーニングのスタディセンターを旅立った。アメリカを離れたくない生徒、また、レッドブラフ中学校に行きたいという思いが強い生徒、この10日間のホームステイがあっという間で夢のような気持ちの生徒、様々な思いを心のうちに秘めて皆バスに乗った。なかなかホストファミリーと別れの時間が来ても別れ切れない生徒も多かったのも事実だ。映画でこういう言葉を聞いた事がある。「Good byeは、今後ずっとさようならだから、使いたくない。I will see you againは、一時的な別れを意味し、また会おう!という意味があるので、別れの時は、I will see you againと言う」と。これは、実際に私がアメリカにいる時に現地の友達に言われた事でもある。生徒達のこのホームステイでつながったホストファミリーとの"縁"、そしてチームコーニングとして日本各地から集まった"縁"をGood byeで片付ける事がない様、バスの中で皆に指導した。また、バスの中ではホストファミリーに、生徒が日本に帰国して2-3日以内にお礼の手紙を郵送するよう指導した。是非、これを守ってもらいたいと思う。また、保護者の方々も是非一筆同封していただきたいと思う。ホームステイという体験は実際に短期間で学ぶ事が多い強烈な体験だ。行かないとその価値が分かりにくいのも事実であると私は今回引率者として強く感じた。バスで約3時間かけてサンフランシスコ国際空港に到着した。バスの駐車場の都合上、現地の先生であるシンディ先生とシャーリー先生とも十分にお別れを言う暇もなく、一人ずつハグをして別れの挨拶をした。予定時刻よりも早く着き、時間に少し余裕を持って空港に入った。一人一人チェックインをし、ユナイテッド航空の職員に助けてもらいながら無事にチェックインを終えた。ここまでは問題もない。次は、難関のセキュリティゲートに向かった。ペットボトルやジュースなどの缶も全て持ち込み禁止だ。もし持っている場合は、飲み干すか、捨てなければいけない。ベルトや靴、そして上着も全て脱いで検査に臨んだ。生徒達は、日本で使う普通のセキュリティ検査を受けた。ドアみたいな形の中を通っていく。そしてもし金属類を身に付けていればセンサーが反応する仕組みである。しかし、私や大人達は、X線検査みたいな場所に誘導された。カプセルみたいな場所の中で、両手を上に広げた形で3秒静止するのである。それでOKが出ると、外にでるように案内される。ここ数年、渡米して日本に帰国する度にサンフランシスコ空港であのマシーンで検査をされている気がする。日本の空港では見た事がなかったが、近いうち、日本にも出てくるのだろうか。制度の違いは面白い。

搭乗ゲートに全員で向かうと、グループの中で2つの違う搭乗ゲートが書かれたチケットを発見した。お土産を買いたい生徒もいたと思い、30分だけ全員に自由行動する時間を与えた。しかし、私はその時間、空港内を走り回ってゲートの係りの人に日本行きの飛行機の搭乗口番号を聞きまわった。すると、つい先ほど搭乗ゲート番号が変わったとの返事をうけた。係りに再度確認し、全員を集合時間に集めると、新しい搭乗ゲートに連れて行った。出発1時間前には私達はすでに待機していた。疲れていたのか、みんなそこまで騒がしくなく、静かであった。いざ、出発30分前になり、私達は機内に案内された。みんな小学生と座ったり、バラバラな座席に座っていた。日本に帰国する時の飛行機は10-11時間と比較的長い。偏西風の影響があるとの話を聞いた事がある。離陸して1時間程でご飯が出た。機内では比較的おとなしく、最初のうち起きている生徒も目立った。ご飯が終了後、全員に感想文を書くように伝え、皆、それぞれの思いを感想文に綴っていた。この感想文は、後日文集として原文をコピーして作成し、各家庭に郵送する予定だ。是非、保護者の方々も読まれると良いと思う。生徒の本音がそこにそのまま記されているからだ。生徒の目線からの今回のホームステイがどういう物だったか知る良い機会だと思う。

無事に成田に着き、コーニングのグループはバスの都合上、2台のバスに別れて羽田空港に向かった。鹿児島のグループが、コーニングがついてから1時間後に到着予定だったので、大分県の生徒と私は成田空港に残り、それ以外の生徒は皆、小学生グループと共に羽田空港に向かいった。もう、コーニングの生徒とは最後の別れだと思うと、少しさびしい気持ちの中、小学生と一緒に行ったコーニングのグループを見送った。成田空港のそばでは、トモキの母が迎えに来ていた。まず、最初の別れである。大分グループのみんなと大きな声でトモキと別れを告げた。無事にシアトルからの鹿児島グループと合流し、私達は、羽田空港に向かった。およそ一時間で羽田空港に着き、若干余裕があった。羽田空港では、私と大分グループ、そして鹿児島グループと別れ、それぞれ搭乗口に向かった。大分グループはターミナルの端っこが搭乗口であった。生徒達とそこに向かう中、セキュリティを通ったとこで、アヤカ、ユキ、フウカ、そしてアユミに会った。成田空港が最後の別れだと思っていた生徒達にとって、思わぬとこで再会できたのはうれしかったのであろうか、笑顔が見えた。「メールするからね!」互いがそういう言葉を交わし、私たちは、大分グループの搭乗口に向かった。大分県の小学生組も3人いたが、モモカが手をつないで面倒を見てくれた。そして、その後ろをコトネが問題ないか見ながらついていく。搭乗口のそばにくると、佐賀県、福岡県組がいた。即座に男子が喜ぶ。「あー!」搭乗口も近く、私は搭乗口まで案内すると、ソウリンをリーダーにし、集合時間を決めてから、ソウリンに従って飛行機に乗るように告げ、コーニング大分組みと別れた。別れ際に、コトネが「ありがとうございました」と頭を下げてきた。ぐっとこみ上げて来るものがある。頭を下げられるほど、自分が何か生徒の為にできたかと考えさせられた。別れは時としてさびしいものだ。とくに、私はオリエンテーションからコーニングの生徒を見ている。その分、思いつめるものが多い。だが、またどこかで会えたらと淡い気持ちを抱きながら、私は福岡組の搭乗口に静かに向かった。

福岡組の搭乗口では、みんな自由時間であったのか全員に会うことはできなかった。コウノスケが座りながら小学生と一緒に飛行機を待っていた。そして、トモキが手紙をくれた。こみ上げてくる気持ちを抑え、わざと明るく振舞い、別れを告げた。「また、学校に行くからナー!頑張れよー!」と最後に言い、その場所を去ろうとすると、アカネとアスカに会った。「先生がいつ学校くるか教えてくれたら職員室で待っててあげるのに」アカネが言う。嬉しいものだ。ただ、いつ学校に行くか分からないのが非常に残念だが。リョウタに会えないのを残念に思いながら、私は自分自身の搭乗口に向かった。鹿児島の搭乗口に向かう途中でユウコに偶然会った。「これから受験だけど、色々頑張れよ!」と声をかけ、「先生、ありがとうございました」とユウコが言ってきた。ありがとうございますという言葉は本当に強い意味を持つと思う。私自身が本当に生徒から色々と学ばせてもらった。たった10日間だったが、本当に私は恵まれた生徒に出会い、無事に引率業務を全うする事ができたと思う。感謝でいっぱいである。これが、コーニングの生徒との最後の会話になった。飛行機の出発までに私はコーニングの全ての生徒の搭乗口に行って別れの挨拶をしたかったが、時間がなかったのと、場所がわからずできなかった。だが、生徒が今後、この10日間のホームステイの経験を活かして活動してほしいと願っている。

期間中の日記を振り返ると、アカネは、授業中に何をすれば分からなくなり、困った事が学校であったが、英語の本を読書した事で、英語の本をもっと読めるようになりたいという目的ができたと書いていた。素晴らしいと思う。ネガティブな事をポジティブに捉えることで新たな挑戦ができる。帰国する前日、モトキとワタルのホストマザーと少し話をする時間があった。その中でくり返し彼女がこう言っていた。「大変残念で分かってるけど、あの子達ががいなくなると本当に寂しく思います」今回のホームステイでは、学校からも、ホストファミリーからも苦情のクレームは一件もなかった。ミスコミュニケーションは何度もあった。だが、ホストファミリーや学校の生徒達はそれを楽しんでくれていた。日本人の生徒達もそういう思いは経験したであろう。悔しい思いもしたかもしれない。だが、それをバネに成長して欲しいと思う。

最後に、引率者として20名のチーム・コーニングの生徒の皆さんを引率できたことを誇りに思う。経験も浅い私が果たしてどれほどの指導を皆さんにできたのかと振り返ると反省する点も多々ある。私なりには、一生懸命指導したつもりだ。必要であれば大声をあげて怒る事も度々あった。できるだけみんなの日記に目を通して、みんなの本音を理解しようと努力した。至らない点が沢山あったとは思うが、是非そこは目をつむっていただけたらと思う。期間中、私から怒られたり、再三注意を受けた人もいたが、好きで怒っているわけではない事を理解して欲しい。皆の為を思って愛を持ってしかったつもりだ。この10日間の経験が本当に生徒の皆さん一人一人にとってかけがえのない体験であるように心から祈っている。そして、皆さん一人一人の今後の活躍を聞ける事を楽しみにしてこのレポートを閉じる事にする。保護者の皆様はじめ、色々な方々に本当にお世話になりました。ありがとうございました。心から感謝のお礼を申し上げたいと思います。

 

Corning 活動レポート 04月03日(火) 【写真】

 朝早い中、高速の上から太陽の光が降りそそぐ。今日はそこまで寒くもなく、素晴らしい晴天にめぐまれた。最後の日だからなのか、私達はついている。ぞろぞろと生徒が学校に到着し、みんなサヨナラパーティ用の荷物を両手に抱え歩いてくる。見るからにすごい重そうだ。みんなが今日のサヨナラパーティの為に一生懸命準備してると思うと心から嬉しくなった。生徒達が続々と集まると、また周りにアメリカ人が寄ってくる。今日が最後とみんな知っているのだろうか。ちょっと寂しそうな感じがするが、生徒達も元気にアメリカ人生徒と会話し始めた。生徒達は学校が大好きみたいだ。本当に見ていて生徒達が愛されているのが感じられる。会ったばかりの人、しかも、言葉がそこまで通じない生徒達を受け入れてくれている。受け入れるばかりか、沢山の人が生徒に付きっきりで一緒にクラスに行きたかったと言う。色々な人から「自分が日本人の生徒の案内をしたかった! 私が連れてきたかった。とても残念! 帰らないで!」こういう言葉をかけてもらえるのはなんと幸せな事かと思う。日本人の生徒には、彼らの気持ちに本当に感謝するよう指導していきたい。

今朝も、8時半からクラスが始まった。アメリカでは、朝のクラスの前に国旗に向かい全員が起立して胸に手を当てる習慣がある。日本にはない事だ。さらに、胸に手を当てるだけではなく、言葉を覚えてみんなでそれを暗唱する。国家に敬意を払うのか、アメリカ人は、アメリカという国に誇りを持っている。そんな姿も私達は学ぶ必要があると感じた。午前中、マユは、技術のクラスにいた。周りに日本人の生徒はいない中、隣のアメリカ人生徒に説明を受けながら、パソコンでロボットにプログラムをインストールする事について学んでいた。隣のクラスに行くと、リサがいた。どうも歴史の授業みたいだ。生徒の日記を読むと、1週間が経ち、会話がわかるようになってきた、聞き取りやすくなってきた、という生徒が増えているのをよく見る。良い事だ。ユウコは数学のクラスにいた。最近、ユウコを数学のクラス以外で見ない気がするが、計算機を片手に一生懸命である。分かるとやはり、楽しいのだろう。その気持ちは分かる気がする。ソウリンは、相変わらずクールに数学のクラスの中で過ごしていた。昼食時間に入り、いつも通りに長いランチを買う列ができる。その中で、アカネ、アヤカが昼食を買ってきた。今日のメニューはピザかハンバーガーか選べたみたいだ。そして、それにフライドポテトとオレンジがつく。日本の給食とはメニューが違う。それも文化の違いだろう。ランチ後に、モモカのクラスに行くと、理科の授業を受けていた。持ち前の明るい笑顔でクラスに溶け込んでいた。隣のクラスには、コトネ、リョウタ、ユウコウがディベートのクラスに出ていた。そこのクラスでは、フロリダで黒人少年が白人男性に射殺された事件に対するみんなの意見を聞き、自分の思いを堂々と述べていた。ディベートのクラスは本当に熱気があった。生徒達は難しい話に耳を傾けていた。

午後からはホストファミリーへの感謝の手紙、そしてずっと同伴してくれたアメリカ人生徒に感謝の手紙を書いた。写真をつけてみんなそれぞれ思い思いのメッセージを書く。簡単に英語で書いたり、日本語でもメッセージを書いたり。その後、学校、消防署、そしてフェアーグラウンドの方たちにお礼のポスターを作製した。真ん中に、「ありがとう」の文字を書き、その周りに、みんなの1行メッセージを書いた。20人もいるので、なかなか立派なポスターができた。やはり、生徒達の中で、今日が最後という思いがあったのだろうか。今日は、生徒たちと話しながら、なんか寂しそうな空気を感じた。明日から現実に戻らないといけない。日本でも浮かれた感じにならないよう、指導しようと思う。

それらが終わり、いざサヨナラパーティの練習に移った。日記を見てると、昨日から一生懸命ダンスを練習した生徒もいた。それぞれがサヨナラパーティを成功させたいという思いを持って今日に望んでいた事がわかり、ちょっと胸が熱くなった。それぞれが個別に1時間ほど練習し、その後、全体で歌の練習をした。コトネとダイスケが場を仕切る。生徒によって運営されるサヨナラパーティ。徐々にみんなの意識が変わってきた。サヨナラパーテイは6時から始まる予定だったが、5時半を過ぎると、着付け、司会の打ち合わせ、プログラムの打ち合わせ、リョウタのサンキュースピーチの打ち合わせなど、担当者は緊迫した雰囲気になった。

6時になると、徐々にアメリカ人生徒達が増えてきた。今回のサヨナラパーティは学校の方々を全員招待した。ただし、生徒に関しては、保護者同伴というのが規則であった。それにもかかわらず、50人以上の方々が会場に集まってくれた。人が集まるたびに生徒達も緊張した顔になってくる。最初は各テーブルにコーナーを作った。折り紙、日本のお菓子、そして習字コーナーである。30分以上もアメリカ人の方々がずっと群がっていた。そういう光景を見ると、非常に嬉しくなった。6時半からは、私達の出番だ。一発目は、ユウコウとダイスケによるサッカーの出し物。初回からすごい人気だった。合計12の出し物があり、皆、それぞれ出し物をした。「先生、できるか不安!」とか、色々な声をきいたが、できる!と力強く押した。今回は、男女混合での出し物もあり、非常に見ものだった。アスカとアカネの空手、コウノスケの少林寺、女子全員とソウリン、ユウコウ、ダイスケ、トモキによるマルマルモリモリのダンス発表、モトキのバスケのテクニック披露、ユウコとコトネのピアノとフルートの発表、モモカ、アユミ、ユキ、アヤカ、フウカによるAKB48のダンス。全てが盛り上がった。最後には、全員でカントリーロードを歌った。アメリカ人の方たちにも歌ってもらうよう頼んでいた。驚いたのは、歌い終わって、何人かの方々が立って拍手してくれた事だ。最後に旅立ちの歌を歌い、終わったあとは、私まで胸にこみ上げてくるものがあった。泣いていた女子生徒が多かった。皆、それぞれの思いが最後にこみ上げてきたのであろう。非常に感動するサヨナラパーティだった。リョウタが、生徒を代表して英語でスピーチした。内容も立派であり、本当に生徒達がここビスタ中学校を好きなのだと感じた。

サヨナラパーティが成功のうちに終わり、すぐに生徒を集め、まず褒めた。私の元に、会が終了後、ここレッドブラフ地域の学校関係者の管理職の方が、「次回来る時に何か助けれる事があれば教えてください。素晴らしい生徒を連れてきてくれてありがとう」と言われた。20名の生徒は本当によくやってくれた。アメリカ人生徒から好かれ、愛され、沢山のアメリカ人に泣かれ。私達は幸せである。全く知らない場所に行き、このような素晴らしい待遇を受けることができて。明日は、朝の5時集合だ。生徒には、今夜よく寝るように伝え、また明日元気に会おうと伝えて別れた。

PS, 昨日の新聞の記事が、今日のレッドブラフ地域新聞に載っていた。インタビューを受けた、コトネ、モモカ、そしてマユの名前が載っている。このレッドブラフという地域に愛された経験を生徒達には忘れないでもらいたいと思う。

 

Corning 活動レポート 04月02日(月) 【写真】

  先週末は雨や曇り空が続いたが、今日は朝から快晴だった。しかし、寒さは相変わらず続いている。今日は、生徒全員が11時50分に授業を切り上げ、午後からの活動に移る。朝一番に、コトネ、モモカ、ユキ、ユウコのクラスを訪問した。音楽の授業であったが、全員が楽器を持ち練習していた。クラリネット、フルート等、楽器の種類をあげると切りがない。上手下手に関係なくみんな先生の指示に従って練習していた。コトネは得意のフルートを。モモカはクラリネットを。ユキは付き添いのアメリカ人生徒の横で。そしてユウコはピアノを引いていた。アメリカ人は、ピアノを2-3回引いただけで、I am a professional piano playerと言う人がいる。いや、むしろそういう人が多いだろう。アメリカでは、行動する事に意義があると考えている人が多いと感じる。日本は、周りの目を気にして恥ずかしさを先に考えるが、アメリカは違う。行動力が積極性を生むのだろう。なんとも朝から爽やかな気分にさせてくれたバンドのクラスだった。生徒達も積極的に自分の席に座り、自分の楽器を取っていく。アメリカ的になってきたと思う。一つ言えるのは、この短期間で積極的になってきているという事だ。私は、それが非常に大事だと思う。英語を話せるという事よりも、積極的に行動する事が大事なのである。カオリ、ダイスケ、アユミは数学のクラスを受けていた。現地の数学の先生も驚くほど、日本人生徒達の数学の能力は高いみたいだ。アメリカ人生徒の2倍の速さで問題をすぐ解くと先生方は言っていた。ここビスタ中学校では、電子ボードを使う。黒板というものはない。なので、もちろんチョークとかもない。黒板より少し小さめのホワイトボードが2つつながっており、ほとんどのクラスに置いてあった。各教室には先生専用のパソコンと私物が置いて有り、生徒達は大学みたいに、授業ごとに各教室に移動する。日本とは勉強する環境が大分違う事に改めて気がついた。

今日は10時半過ぎにランチの時間が始まった。最初のランチのグループの写真を撮るため日本人生徒達の近くに行くが、突然現地の先生から、新聞社からの取材があるので至急来て欲しいと呼ばれた。地元紙みたいだ。「この学校に来て何が一番楽しい?」から始まり、2、3質問を受けた。記者に聞くと、記事になるのはいつになるかわからないようだ。私、モモカ、コトネとマユは笑顔で取材に答えた。モモカ、コトネ、マユは時々英語を使い、記者からの質問に笑顔で答えていた。コトネは、自分の話した英語が相手に伝わると、手を叩いて喜んでいた。やはり、そうだろう。異国の地で異国の言語を使って相手にそれが伝わった時の喜びは計り知れないだろう。また、ランチ時間に日本人で唯一バスケをしていたソウリンを、記者は写真にとり、私に見せてきた。なかなかダンディなかっこいい写真であった。午前中に、現地の先生から聞いたが、ビスタ中学校は来年度も私達みたいな、短期の外国人生との受け入れをするみたいだ。学校中をあげて私達を受け入れてくれ、それがビスタ中学校の生徒達にも良いと校長先生が判断したのであろう。その事を生徒に話すと、来年もビスタ中学校に来たいと話す人が多かった。特にユウコウは、「来年も来たい! 一ヶ月ここにいたい」と話していた。リサも、「マユ先輩、一年間留学しましょうよ!」と言う始末。マユは、「お金もかかるし、1年かー。。。」と考え深げな表情。短期のホームステイと長期のホームステイのメリット、デメリットを伝えた。私もホームステイ業界に入り日が浅いが、ホームステイは非常に奥が深いと、引率をするたびに毎回感じる。

午後からは、学校のそばにあるフェアーグラウンドという場所に全員で向かい、その後隣町にボーリングに行く予定であったが、ミスコミュニケーションがあり、コウノスケ、モモカ、コトネ、アユミを乗せた車は別の場所に間違って向かってしまい、時間の都合上、一緒にフェアーグラウンドに行く事はできなかった。ただし、彼ら4人は、99セントストアで買い物を楽しんだみたいだ。ここ農場地帯の町であるレッドブラフは、カウンティーフェアという農産物の販売、闘牛、馬のショー、車のショー、モーターサイクルショーなど始め様々なイベントを行っている場所だ。つい2日前にもイベントがあったみたいで、アスカが会場にあったプログラムを発見した。アメリカの全ての州で、カウンティーフェアーというイベントは歴史あるイベントみたいだ。その中でもこのレッドブラフの地域のは非常に有名で歴史のあるイベントを昔から行ってきているみたいだ。ここでは、馬、牛、羊、やぎ、豚、など家畜を飼う場所もあり、競馬場みたいな場所もあった。また、闘牛場やゴーカートも行う事ができる体育館のような広さの建物もあった。地面は硬い土で、木造である。かれこれ30年以上になるその建物の壁には、今までのスポンサーの企業の看板がぎっしりと埋め込まれていた。日本では見たことのないような建物であり、西部劇を見てるような感じであった。敷地はどのくらいの広さであろう。言葉で言い表せないような大変大きい場所であった。ここに地元の人達の歴史が刻まれており、その誇りを何年も大事にしていると思うと、ちょっと胸が熱くなった。

今日の最後の活動はボーリングであった。コウノスケ、コトネ、モモカ、アユミと無事に合流し、その後皆が楽しくボーリングをしていた。アスカは、初めてボーリングを経験するみたいだが、なぜか私は負けてしまった。みんな、それぞれ2ゲームしたのだが、ゲームセンターのご好意により貸しきりにしていただいた。つくづく、様々な方々のおかげで私達は本当に良い思いをさせてもらっている。常に感謝の気持ちを忘れないでいたいと思う。男子と女子で別れてゲームしたのだが、男子の2ゲーム目は罰ゲームをかけて非常に盛り上がっていた。女子は女子で盛り上がっていた。その中でも一際目立っていたのが、アヤカ、ユキ、フウカ組。そして、コトネ、モモカ、アユミ組である。一球投げる度に歓声があがり、ハグをしていた。モトキは120オーバーのスコアで一番成績が良かった。きっとボーリングが得意なのであろう。モトキ以外に100を越えた生徒は確かいなかったはずだ。

ボーリングの後は、私が最後に皆を集めて注意事項を行った。ここ最近、説明中に私語をする生徒が目立ってきたので、厳重に注意した。私語は決してあってはならない。気持ちが緩んできた証拠であると思う。アメリカの学校では私語が目立つと廊下に出され、先生が呼びに来るまで授業を受けれない。この10日間のアメリカでの生活を通し、私は、生徒に常に相手のことを思いやって行動できる人間でいてほしいと思った。皆、生まれた環境、育った環境は違うが、ここアメリカの地で愛を持って接してもらったこの経験を一生忘れないで欲しいと思う。サヨナラパーティは、生徒がホストファミリーに感謝をする意味で行うものであることを再度伝え、そのために一生懸命練習し、素晴らしい発表になれるよう皆で作り上げてほしいと指導した。私の思いが伝わったのか、生徒達はうなずき、ホストファミリーが迎えに来るまで練習に励む生徒達の姿が非常に頼もしかった。

明日は、朝から夜の8時まで学校にいる予定だ。ちょっとハードスケジュールだが、ほとんどの生徒がパッキングが終わっているみたいなので安心した。サヨナラパーティの練習も私が指揮を執ってもいいのかもしれない。だが、それでは生徒の成長につながらないと判断し、練習と本番の運営は生徒に任せるつもりだ。ただし、大まかな準備、会場設営、その他の打ち合わせは私が現地の先生とすでに済ませておいた。責任を任された生徒達は美しく輝いて見える。なぜなら、彼らは責任を果たす為に一生懸命になるからだ。これは非常に大事な事であろう。明日は、生徒1人1人にとって最高の日になるであろう。そんな淡い気持ちを抱きながら、生徒達と別れた。明日一日が非常に楽しみである。

 

Corning 活動レポート 03月30日(金) 【写真】

 寒い風が吹く曇り空の中、生徒達がぞくぞくと集まってきた。今日は雨が予報されており、天気を心配していたが、曇りのまま朝を迎えた。あまりの寒さにコトネは凍えて唇がブルブル震えていたが、クラスに向かう時には治っていた。学校が始まるまでの間、朝からバスケットのコートに人だかりができていた。なんと、ソウリン、トモキ、モトキがアメリカ人生徒とバスケットをしていた。すごい寒い中、ワタルはコートの外で彼らの写真をとっている。気になったので聞いてみると、バスケはどうも苦手との事。コート上には、30人以上の生徒が集まって見ており、熱血した空気が伝わってきた。中には、半そで半ズボンのアメリカ人生徒達もおり、一瞬目を疑ってしまうほどだ。ここコーニングは寒い天気が続いている。九州と気温は変わらないはずなのだが、多分、朝は10度以下になると思う。始業ベルが8時過ぎに鳴り、生徒達は、昨日と同じアメリカ人生徒に連れられて各教室に入っていった。中には、昨日のアメリカ人生徒が今日休みをとっていた生徒もおり、他のアメリカ人生徒が、「僕が一日彼を案内していいですか?」と聞いてきた。積極的である。意思の疎通をはかれるのか?とか色々とアメリカ人生徒は不安にならないのだろうか。日本人なら恐れや不安が先に出てなかなか行動ができない人が多い傾向が見られると思う。改めて、アメリカ人の積極的な姿に考えさせられた。

ここビスタ中学校のクラスルームには、暖房冷房が完備されている。なので、授業中は寒さに震えるという事がない。1時間目、ユウコウとマユは同じクラスで数学の授業を受けていた。習った事がないところをやっているのか、ユウコウは苦戦していた。辞書を引っ張り出しながら隣のアメリカ人生徒に教えてもらおうとしている。隣にいたアメリカ人生徒は、ユウコウの2つ下みたいだ。マユは、今日の授業は、すでに日本で習ったとこみたいで、すらすらとアメリカ人生徒に負けずに問題を解いていく。数学が楽しいと言う彼女の気持ちが分かる気がした。生徒達の授業を観察していると、みんなが初日と大分変わり、見違えるほど積極的になっている。近くで彼らの成長を見られる事は、引率をする私にとって、非常にありがたい。リサとモトキも同じく別の数学のクラスを受けていた。リサが昨日「私はあなたをあいしています」と日本語を教えたと思われるアメリカ人生徒のバインダーに、油性ペンでその文字が書いてあった。ずっとそのバインダーをアメリカ人生徒が使ってくれたらと願う。リサも積極的に隣のアメリカ人生徒に数学を教えてもらっていた。彼らはリサの事を超気に入っているようだ。また、モトキのグループもモトキの事が大好きみたいだ。グループの子ども達は、モトキが数学の宿題をしてくるもので、天才扱いをしている。しかも、寿司の形をした物をあげたみたいで、グループの子が、私にトモキがこんなクールな物をくれたと自慢してきた。実は、モトキとリサのクラスで授業を受けている生徒達は中学校1年生だ。だが、とてもそうは見えない。アメリカでは男女はとても仲がいい。日本みたいな感じではない。男子でも、女子でも、性別に変わらずハグはするし、友達になる。

2時間目に入り、体育館に行くと、アユミ、トモキ、カオリ、モトキが走っていた。シャトルランみたいだ。最初は15人くらいでスタートし徐々に自分の限界を感じたらやめていくみたいだが、トモキは、最後の4人に残っていた。何回往復したのだろう。生徒達がアメリカ人生徒と対等に活躍してるのを見ると嬉しくなった。どこかのクラスで、アメリカ人生徒に聞かれた。「いつ、日本に帰るの?」「来週の火曜日が最後です」と答えると、大きな声で、「みんな、本当にいい人達だから、私達と一緒に学校にずっと来て欲しい!」と言われた。そう思ってくれるのは、引率者として非常に嬉しかった。ユウコとアカネも数学の授業を受けていた。クラスでのアカネの笑顔が最近目立つ。学校が面白いのだろう。アカネのグループの子がアカネの英和辞書を片手に一生懸命コミュニケーションを取っている。辞書は本当にコミュニケーションを取る良いツールだ。ユウコは黙々と問題を解いていく。その姿は、アメリカ人生徒に劣っていない。先日は、理科の授業で発表をしたみたいだ。異国の地で活躍する生徒の将来が非常に頼もしく感じた。生徒達を見てまだ5日という短期間だが、確実に成長し度胸がついているのがわかる。やはり、生徒達が明確な目標を持って、アメリカに来てる事が、生徒達が学ぶという姿勢を継続できているのだろう。目標を持つのは改めて大事だと気づいた。

午後からは、待ちに待ったイースターエッグハンティング活動だ。何人かの生徒が日記に非常に楽しみだと書いてあった。イースターというのは、キリストの復活を祝う行事で、日本ではそこまでポピュラーではないが、アメリカでは一大行事である。この季節は、街に行けば、厚さ1センチはありそうなウサギの顔のチョコレートをはじめ、プラスチックの卵にお菓子が入ったイースター限定のお菓子などが売りに出される。

 スタディセンターについてすぐ、まずは生徒全員の個人写真をとった。最後のサヨナラパーティで使うのであろう。その後、4つのテーブルに5色の色を用意し、ゆで卵の殻に色をつける準備をした。アメリカ人の先生方が準備をしていたら、マユ、リサ、カオリとユウコをはじめ、みんなが自分から進んで準備の手伝いをした。アメリカで手伝いをするのは当たり前の事である。だが、やはりアメリカ以外の国ではそうではないとこもあるみたいだ。みんなで手伝いをすると先生方に相当喜ばれ、褒められた。「君たちのグループの生徒は本当に優秀だ。」嬉しい限りである。本当に生徒達は優秀だと心から思う。準備が終わり、ゆで卵の殻にみんな好きな色を塗り始めた。塗るというか、コップに入った色水に、卵をしばらく浸すのである。女子は器用な人が多かった。モモカや、ユウコの作品は沢山の生徒から「すげー!」の連発である。男子も負けてなかった。ダイスケが器用にゆで卵の殻に色をつけて素敵な作品を作っていた。卵がかわいたら、今度は先生方が裏の庭にそれを隠しに行った。

しばらく時間があったので、私から生徒達に連絡事項を伝え、気を緩めて事故や怪我、そして体調管理に気をつけるよう伝えた。また、日記の項目を必ず全て毎日記入するよう、もう一度、アメリカに来た目的を思い出しながら残り少ない時間を過ごすよう指導した。みんな素直な生徒である。引率者としていつも思うのは、素直な人ほど成長するのが早いという事である。この10日間の研修は、生徒全員にとって決して忘れることのできない強烈な体験になってほしいと願っている。

さあ、今からイースターハンティングである。一人6個の卵を見つけるよう言われ、一生懸命みんな探し回っていた。聞くと、先生方は合計120個以上の卵を隠していたみたいである。先生方も大変だっただろう。でも、生徒達は楽しそうに集めていた。集めた卵はホストファミリーにあげるかもしれない。アメリカではゆで卵に色を塗り、飾り付けした卵は後で殻を割って食べるみたいだ。初めてのイースターの体験はどうだったんだろう。生徒達は楽しそうに活動に参加していた。

帰る前に、サヨナラパーティでの出し物を皆に決めさせた。昨日から口をすっぱく決めるように言っているので、全員がすぐに何をするか教えてくれた。この週末で練習してほしい。来週の火曜日にサヨナラパーティをするが、ビスタ中学校の先生方、そして生徒の案内役のアメリカ人生徒とその親、そしてホストファミリーを呼ぶことになっている。沢山の方々が来られるであろう。是非ともサヨナラパーティを成功させたい。

 

 

Corning 活動レポート 03月29日(木) 【写真】

  まだ肌寒い曇り空の中、生徒がぞくぞくと学校に集まってきた。風もあるため、九州北部の気温よりもコーニングは冷えている感じがする。生徒は皆、明るそうだ。時差ぼけにあまりなっていないようだ。昨日のアメリカ人バディを待ち、生徒はそれぞれの教室に向かっていった。昨日と同様、学校に着くなり、沢山のアメリカ人生徒に囲まれていた。昨日はまだ若干引いていた日本人生徒達も今日は自分から進んで輪の中に入っていった。慣れてきたのであろう。引率者として少しほっとした瞬間だった。

午前中、何人かのクラスに行ったが、大変興味深い光景を見た。リサが、同じグループの子に「私は、あなたを愛しています」と日本語で書いてあげていた。I love youを日本語で書いてくれと言われたのだと思うが、そのグループのアメリカ人生徒が、リサの字を真似して同じ文を書いたのだ。すると、他の席に座っていた生徒達が、私も、僕にも書いて!と一人ずつきた。それを見たリサは「え? 書くだけでいいの?」というような感じで驚いていた。中には、Hello Kittyを日本語に直して書いて!と言ってきた生徒もいた。文化の違いというのは、見ていて本当に面白い。日本語というのは、アメリカ人にとっては本当にかっこいいと思う文字であると再認識した。モトキは、昨日出された数学の宿題をきちんと終えてクラスに来た。それを見た同じグループの女の子が、「モトキ、宿題やったの? えらい!」と褒めていた。ちなみに、そのグループではモトキだけが宿題を全てやってきていた。日本人生徒はその数学の宿題はやってこないと思っていたのであろう。モトキはよくやったと思う。

授業中にいきなり放送が入った。「全ての日本人学生、アメリカ人バディと引率者は3分間授業を早めに終えて外に集まってください!」 外に行くと、ヨーグルトにイチゴとオートミールを混ぜたお菓子を食べてくださいと言われ、食べたら、それを授業が終わって外に来る生徒に配ってくれと言われた。そのお菓子の数およそ100個以上。ミサキ、ユキ、ユウカは「フォーユー!」と言いながら喜んで走り回ってあげていた。そこからだ。お菓子がなくなると、今度は、ミサキが日本のお菓子を配り始めた! 沢山のアメリカ人生徒が集まり、写真も撮れない状態に。すると、ユキ、フウカ、アスカ、アカネもお菓子を配り始めた。何十人も周りに集まる。すると、校長先生が来て、そんな様子を写真にとって喜んでいた。アメリカ人生徒はこれ何のお菓子?と次々と質問していたが、周りの子達が「美味しいから食べてみなよ!」と言う。みんなよく分からないで食べていたのだ。でも、アメリカ人生徒は満足そうだった。ワタルとリョウタは、5円玉を配り始めた。アメリカ人男の子達がそれに群がる。中には、お礼として、25セントをリョウタに渡してきたアメリカ人生徒もいた。5円玉を学校に持って来るように指導はしていなかったが、こんな時に使えるものだ。自分達で考えて準備して持ってきていて感心した。

アスカはお菓子を配り終えると、今度はノリノリでアメリカ人生徒の真似をしてダンスをし始めた。うまくできると、拍手が沸き起こった。すると、50人近くの生徒が集まってきてアスカが何をしているか興味津々と見ている。ダンスを教えたアメリカ人生徒の友達がさらに、アスカに色々とダンスを教える。アスカも恥ずかしがらずにそれをこなすのでさらに盛り上がった。ホームステイにきたら、まず言語が分からなくても行動する事が鉄則だ。それをしたからこそ、アスカは超人気者になれたのだと思う。言語が分からなくてもコミュニケーションはとれるのである。マユとリョウタは、パソコンのクラスを受けていた。マユが、真剣な表情で隣の席の男の子から説明を受けていた姿が印象的だった。また、ノートパソコンを相手にリョウタのタイピングが早いと周りの生徒が興奮していた。リョウタのバディの女の子はすごく真面目で優秀な女の子みたいだ。通常、バディという訪問者の世話をできる生徒というのは成績が良くないとなれない。日本人の生徒に聞くと、みんなのバディはよくお世話をしてくれる方たちみたいだ。それを聞いて、私は大変ほっとした。
 
カオリ、ダイスケ、アユミ、ミサキは数学のクラスを受けていた。日本でいう三平方の定理である。日本では、中学3年で習うみたいだ。数学の先生は大変いい人で、いつも日本人生徒の事を気にかけてくれている。本当に、ビスタ中学校に来てよかった。生徒の日記でビスタ中学校が大好きだと書いている生徒もいる。引率者として嬉しい限りだ。ユキはリョウタと歴史のクラスで大フィーバーだった。なんとユキは折り紙や新聞紙で帽子や手裏剣、そして鶴などを折り、生徒にあげていた。みんながそれ欲しさに席を離れて寄って来る。さらに、ネルネルくんをその場で作って生徒に回して食べさせていた。生徒は極度の興奮状態である。皆から、ユキ!ユキ!と呼ばれていた。まるで有名人扱いだ。ユキがなぜ学校に行くのが相当好きなのか分かった気がした。

午後からは老人ホームを訪問した。最初にカエル合唱を輪唱したがうまくはもれなかった。リベンジにふるさとを歌った。コトネに指揮を頼み、徐々に皆をうまくまとめていった。そして、リクエストがありコトネがフルートで君が代を。何の曲か分からない方々が多かったが喜ばれていた。そして、コウノスケ達がクッキーを配り始めた。モモカとコトネを筆頭にアスカ、アカネ、カオリ達が続いて老人の方たちに個別に自己紹介を始めた。そのうちに、リョウタから提案があり、ソウリンの指揮の下、女子の多くとユウコウで"旅立ちの日に"を合唱した。伴奏者はリョウタである。それにビックリした生徒も多かった。ほとんどの生徒が歌詞を覚えており、覚えている人だけで前に出て披露した。その他の生徒達は、老人の方たちの横に座った。また、ユウコが作ったカブトをかぶるおじいちゃん、おばあちゃんの姿が非常にかわいかった。歌を歌い終わり、全員で個別に老人の方たちにあいさつをして老人ホームを後にした。

ホストファミリーが迎えに来るまで時間が少しあったので、皆でマクドナルドに向かう。ドリンクエニイサイズ1$と書いてあったので、リョウタ、トモキ、そして数人の男子はLサイズを頼んだ。お代わりができるのを知らない生徒が多く、男子も女子も2杯目に行った人が多かった。ダイスケ、アスカ、そしてアカネはDrペッパーに挑戦した。ダイスケは普通に飲めるようになったが、アスカとアカネにはきつかったみたいだ。また、昨日ルートビアーにコウノスケやユウコウが挑戦したみたいだった。アメリカにいる間は何事にも積極的に挑戦してもらいたいと思う。

寒い日が続いているが、体調不良の生徒はでてきていない。みんなとても元気だ。全員の日記を読んでいて、やはり生徒達は学校に行くのが非常に楽しいみたいだ。残りの時間を悔いのないように過ごすようコメントした。人は大切にされるほど相手に心を開くのだろう。ビスタ中学校では本当に心から歓迎されている。それが生徒達に素直に伝わっていると思う。素直に吸収できる若い時期だからこそ、留学経験というのは本当に必要なのだと思う。さらに日記を読む進めていくと、ホストファミリーに食事を作ったり、手伝いをしてたりとしている生徒が多いことに気がついた。言われないでも自分から行動する。コーニングに来ている生徒達は本当に立派だ。感謝の気持ちを持ち続け、どう恩返しができるかを考えて行動し続けてほしいと願う。明日は今週最後の金曜日。慣れてきて気が緩まないように指導していきたい。

 

Corning 活動レポート 03月28日(水) 【写真】

 今日は小雨が降る中、眠そうな目をした生徒達が次々と集合地に集まってきた。朝の7時過ぎである。8時少し前に学校につき、車を降りて学校に入ると、まずアメリカ人生徒が沢山いるのが見えた。私達は学校の入り口で全員がそろうのを待っていたが、アメリカ人生徒の体格の良さ、大人びた顔に全員が圧倒されてしまった。しかし、モモカとリサが勇気を持ち、自分達からアメリカ人の女の子に話しかけた。そしてそれに感化されたリョウタが男の子達にハイタッチをし、ハーイと挨拶を連発!「先生、俺話すことない!」って言いながらも徐々に色んな人と話し始めた。学校に全員が着いて15分後には、全員が有名人みたいに囲まれた。アメリカ人相手にびびって日本人同士で固まっている暇なんかない。中々アメリカ人に話しかけられない生徒には、アメリカ人を連れてきて、話をするきっかけを作った。それが功を奏したのか、全ての人がアメリカ人生徒とカタコトの英語や単語を使いながら一生懸命自己紹介を始めた。追い込まれたら人は何でもできる。まさにその言葉の通りだ。たった10日間という期間だが、毎日勇気を出して行動し、少しでも多くの生徒がアメリカでの経験を通して積極的になってほしいと心から願っている。

学校についてアメリカ人生徒にもまれてから、一人一人にアメリカ人生徒が割り当てられ、今日一日一緒に行動を共にするようにと先生から言われた。とまどいながら、皆が一人ずつ様々な教室に消えていった。ユキは興奮した様子で、アメリカ人生徒と一緒に一日過ごすことができるときいて嬉しそうだった。学校から、日本人生徒の写真を撮ることは構わないが、学校の建物やアメリカ人生徒のみの写真撮影は断られた。どうも、地区の方針みたいだ。ユウコ、カオリ、アユミ、アカネ、モトキ、リサは一生懸命数学の問題を現地生徒と解いていた。あの真剣なまなざしは、心に深く残った。また、ダイスケがアメリカ人生徒に数学の問題の答えを教えていた姿も印象的だった。ソウリンやフウカは歴史のクラスで先生から飴をもらい幸せそうな表情で「英語がわからない」といいながらもニコニコしていた。人はニコニコしていると、様々な人が寄ってくるものだ。フウカの席のそばにいたアメリカ人生徒は、フウカの出した辞書を使いながら一生懸命フウカに自分の伝えたいことを伝えようとする。ホームステイは、これだから本当に面白い。

ワタルはメキシコ人の大柄な男の子達のグループと一緒だった。歴史のクラスだったと思うが、日本の新聞紙をなぜか途中で引っ張り出し、そこからそのグループはすごい盛り上がった。よく観察してみると、アメリカ人生徒が広告の写真を見て時計などの値段を、「アメリカドルに換算するといくらか?」とか、「この漢字の意味は何か?」と質問しており、お互いが言葉で理解できない時は、ノートに文章を書いてコミュニケーションを図っていた。そのページはA4ノート2ページにも及んだ。改めて生徒たちのコミュニケーション能力の高さを実感した。アスカはルネサンスの時代の事を勉強するクラスにいた。先生が、「2-3人でパートナーになってグループワークに取り掛かりなさい!」と言うと、男女を問わずアスカの周りに人が集まった!「君と一緒のグループになりたい!」 アスカもびっくりしていたが、レッドブラフ中学校では、日本人の生徒は大変人気者だ。ユウコウのクラスでは、ユウコウの近くの席にいる人が、名前を漢字で書いてくれと私に言ってきた。で、ユウコウに名前を漢字で書いて欲しい事を伝え、彼がOKすると、瞬く間に、クラス中の人が集まり、「僕も名前書いて!」「私も書いて欲しい!」「漢字書けるとか超クール!」と言い出し始めた。そうすると、ある男の子が「ユウコウから日本のペンをもらった!」と私に自慢してきた。最後には、生徒達が先生に許可を取り、ユウコウが書いた漢字を携帯で撮り始めた。日本の漢字やヒラガナはアメリカ人からすると、非常にかっこいい文字だと改めて感じる。トモキやコウノスケもアメリカ人生徒に囲まれ、幸せそうだった。英語が完璧にわからなくても、一緒に現地の生徒と共に学ぶ姿勢を示すことが非常に大事だ。改めて彼らを見てそう感じた。生徒の顔を見て笑顔でいたり、楽しいと言ってくれると私も非常に安心する。給食時間は、各学年ごとに別れているみたいで日本と違った。

学校が終わり、午後から他の活動に行く時、ユキは相当学校が楽しかったらしく、まだまだ学校にいたいと言っていた。アメリカ人生徒も私達が来週火曜日までいると伝えると、一週間近く一緒に入れると非常に喜んでいた。日本人の生徒達も学校に行ってすぐに100人近くの生徒に囲まれ非常に驚いて戸惑ったと思うが、半日が終わる頃には非常に楽しんでいた。本当に良かったと思う。午後からは、消防署に行き、レッドブラフの街を散策した。消防署では、様々な消防車の説明、そして水を実際に放水させてくれるサービスまであった。ソウリンが消防署の職員に手伝ってもらい放水を体験した。時間に余裕があったので、消防はしご車のはしごを最大限に伸ばした上から、全員の写真をとってもらった。このはしごは、非常に高いビルまで届くことができるという。写真を見ていただけたら、私達がどれだけ小さく写っているか分かると思う。最後に消防車の中に乗り、みんながそれぞれ写真を撮った。帰り際に消防署員と写真撮影も行った。ここの消防署員の勤務日程は、2日間連続で働き、2-3日休みがあるという。1年間に3000件の通報があるみたいで、通報が鳴り、一分で消防車まで走り、1分で防護服に着替える。そして出発し、3分以内に通報があった所に駆けつける。厳しい訓練をしている様子がよく伝わった。サンキューと大きな声で消防署を後にした。そこから徒歩でレッドブラフの街を歩き、街の説明を受けた。ここの街並みは古い町並みで、カウボーイとかが一年に一回集まるイベントがあるみたいだ。確かに、街並みは古い感じがひしひしと伝わってきた。

生徒達の日記を読むと、夕食の手伝いをしたり、味噌汁を作ったり、日本料理を作ったり、コケシをプレゼントしたり、様々な時間を過ごし、ほとんどの生徒が9時から10時には寝たみたいだ。ホームシックを心配していた子も、笑顔で本当にホームステイが楽しいと私に言ってきた。今回は二人で入っている生徒も多いが、お互いに助け合いながらホストファミリーとうまく交流しているようだ。生徒の日記には、ホストファミリーの優しさに感謝し、彼らの為にどんな恩返しができるか考えて行動するようにしましょうとコメントした。これからも、それを忘れずに指導したい。

 

Corning 活動レポート 03月27日(火) 【写真】

晴れ渡った青空の元、各県からの飛行機が次々と羽田空港に到着し、朝早くの飛行機での移動の疲れも見せず、皆元気な姿で出てきた。積極的に自分から挨拶を交わす一面が見られ、バスに乗るときにはみんなが仲良くなっていた。若干緊張してる様子も見られながらも、成田までのバスに乗り出発した。成田では、約1時間の自由時間があり、緊張の面持ちの生徒達もすっかり打ち解け始めていた。いざ飛行機に乗り、1時間すると夕食が。なかなか寝付けない生徒もいたみたいだが、しばらく経つとみんな静かになった。約7時間後に朝食が出、徐々に眠たい目をこすりながら起きて食べ始めた。朝食は、オムレツにソーセージとアメリカ的な食事であった。食事が終わると、何人ものフライトアテンダントの方々から「是非、日本の保護者に伝えてほしいことがあります。今、ここにいる生徒は、とても丁寧で、お礼もでき、今までで一番素晴らしいグループです!必ず、保護者に伝えてください!」素晴らしいお褒めの言葉をいただき、最後には、機内アナウンスまで同じ事を全ての乗客に聞こえるように流してくれた。フライトアテンダント達の優しさと、生徒達の素晴らしいマナーに感謝をしたい。そして、生徒達に素晴らしいしつけをされているご両親の方々に深くお礼を申し上げたい。

予定より45分早く到着し、空港ではシンディ先生が迎えてくれた。早速全体写真をとり、いざバスへ。先生の対面に緊張した顔の生徒が多数いた。バスでコーニングまでおよそ3時間。途中で、マクドナルドやカールスジュニアといったファストフードのお店に昼食のため寄った。初めてアメリカで買い物をする生徒にとって、自分の食べたいものを注文するのは勇気がいっただろう。モモカが、先頭にたって注文し始めると、男子も続いて注文しだした。アメリカの食事はとにかく量が多い。コウノスケが、「先生、こんなの毎日食べると確かに太りますわ!」ようやく、生徒達も本場のアメリカの食事を見て、これは太ると確信したみたいだ。みんな、様々な物を注文し、リョウタは、皆がスモールポテトとジュースを頼む中、一人、ミディアムポテトとジュースに挑戦した。大体、日本のラージドリンクがアメリカのスモールドリンクくらいだろう。シンディ先生が注文したミディアムドリンクサイズに、みんなびっくりしていた。

2時過ぎに目的地のコーニングについた。コーニングは、オリーブが有名な街で、高層ビルなどの建物は周りにほとんど見えない。どちらかというと、畑があるような田舎町だ。生徒もスタディーセンターについて、やっと、アメリカに来たという実感がわいてきたみたいだった。ウェルカムパーティとして、コーニングのスタディセンターにつくと、フルーツとジュースとスナックが用意されており、3時過ぎに迎えに来たホストファミリーと一緒に食べた。最初は食べていいよと言われても緊張してなかなか食べれずにいた生徒も、ホストファザーの豪快な食べっぷりに感動し、徐々に自分から進んで食べ始めた。アメリカ人の食べ方は豪快だ。アメリカに来たのだから、生徒に、もっと積極的になるよう指導した。着いてすぐ、シンディ先生、そしてシャーリー先生からオリエンテーションをうけた。隣町(Red Bluff)の学校に行くので、ほとんどの生徒達は毎日7時15分にスタディセンターに集合になる。そして、Red Bluffの中学校に向かう。ただ、何人かの生徒は、Red Bluffに住んでいるので、朝の8時に直接学校に来るようだ。

オリエンテーションが終わり、ホストファミリーがスタディセンターに生徒を迎えに来た。ホストファミリーをみんなの前で紹介しながらフルーツやスナックを食べ、最初にフウカのホストファミリーと、マユとリサのホストファミリーが到着した。そして徐々に次々とホストファミリーが到着して、生徒と家に帰っっていった。少し緊張した面持ちでスタディセンターを後にした生徒も結構いたが、明日からは笑顔がまた見られると思う。楽しみだ。

無事に全ての20名の生徒がコーニングに到着した。明日から朝が早いスケジュールになる。明日の午後からは消防署を訪問予定だ。シンディ先生によると、消防署の担当者から大変楽しみにしていると連絡があった。地域の人達から暖かく受け入れられている。この10日間という短い滞在の中で、何を地域の人達にお返しをする事ができるか考えて行動するように指導していきたい。現在、夜の9時過ぎだ。まだ誰からも電話がかかってこない。生徒はみな、うまくやっているようだ。夜の12時まで起きて様子を見てみようと思う。


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