アメリカの小学校に、体験入学し、現地の児童と一緒に授業を受ける小学生のためのホームステイプログラムの現地からの活動報告です。

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2008年度 わんぱく留学/ジュニア留学 活動報告 

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Tracy 活動レポート 04月05日 【写真】
 いよいよお別れの朝。マンティカに住んでいた生徒はデブラ先生の家に6時、トレーシーはスタディーセンターで6時半に集合をすることになっている。昨晩はパーティーが終わり9時には解散しそれぞれ家に帰ったが、中にはそれからPizzaを食べに行き夜中まで一緒にホストファミリーと遊んで最後の夜を楽しんだ生徒や、素敵なプレゼントをもらった人、ホストブラザーと本当の兄弟のように同じベッドでいつの間にか眠りについていた生徒などいろいろいたようだ。出発の朝、私は5時には目覚ましをセットし最後のベッドメーキングと荷造りを終わらせデブラ先生の家へ。既にいくつかのホストファミリーが来ていた。別れの悲しさ、心細さを感じている生徒達の横にはサンフランシスコ空港行きの貸し切りバスが酷なほど大きく見え、圧倒的な存在感を持って駐車している。今日まで私達は毎日いろんな学校へ行き、午後の活動も様々なことをして本当に変化に富んだ日々を過ごしていたが、その生活の中で唯一変わらないものがあった。それはホストファミリーだ。毎日学校へ行き、夕方になれば家へ帰る。そこで本当に様々な時間の過ごし方をして、お互いの存在が当たり前になり家族の一員になったみんな。それぞれの家族との絆の強さを、この出発の朝にみんなの涙やさわやかな笑顔の中に見ることができる。泣いている生徒を見ると、私自身が初めてホームステイした時の別れの朝の感情がよみがえり、いつももらい泣きをしてしまう。でもホストファミリーとの出会いはこれで終わりではなく、むしろこれからが始まりだということを是非分かってもらいたい。

TCのデブラ先生、コーリーン先生、ミシェル先生、ローリー先生はサンフランシスコ空港まで見送りに来てくださるので一緒にバスで移動。そのバスの中で、デブラ先生からみんなへとっても素敵なプレゼントが!みんながアメリカに到着してから昨日の夜までに撮ってくださった写真を一人一人のためにCD−ROMにしてくださった。それを空港に着くまでテレビで上映。ホストファミリーから用意してもらった最後のランチ(ブランチ)や、大きな袋に入ったポップコーンをみんなでまわして口にしながら楽しく見た。写真は500枚以上あるとデブラ先生が言っていたが、到着日にバスの中で口を開けてうたた寝してしまった誰かさんの写真から日々の学校での様子、午後の活動にサヨナラパーティの写真など、スライドショーになっていた。夜中の2時過ぎまでかかって生徒と私の合わせて34枚作ってくださった。そうしているうちにあっという間に空港到着。忘れ物が無いようにバスを降りて、それぞれのスーツケースを持って搭乗手続きの場所へ移動。ここでスーツケースと手荷物の中に入れるべきものの最終確認をし、到着日に回収したみんなのパスポートとチケットを渡す。最後のグループ写真を撮り一人ずつ搭乗手続きを始めた。TCの先生はここでも一緒にカウンターに行って生徒を手伝ってくださったり、搭乗手続きが終わった生徒と話をして、最後の最後まで本当によく面倒を見てくださった。

飛行機離陸の2時間半も前に空港に到着したものも、搭乗手続きやセキュリティーにかなり時間がかかった。手荷物もかなり厳しく検査され、うっかりバッグにペットボトルを入れていたり、カメラをポケットに入れたまま金属探知機をくぐった生徒、やり直しをさせられ、靴も上着もベルトもネックレスも外し、時間がかかった。誰かさんはバッグの中を全て開けられ時間をかけて調べられてしまいましたね。何が引っかかったのかな?できれば搭乗ゲートを確認してから多少の自由時間を設けたかったが、そんな時間の余裕は無かった。名古屋行きの生徒を搭乗ゲートまで送って行き、同じ名古屋行きのわんぱく留学の小学生達も急いで乗り込んだ。成田行きの生徒15人と私はみんなとの別れを惜しむ時間もあまり無い状態で自分達の搭乗ゲートへ急ぐ。搭乗ゲートに着き、みんな腰をおろしてから「Good job.」とお互いの健闘を褒め称えた。これで順調に終わりそうだったが、成田行きの飛行機は滑走路の近くまで行き離陸を待っていると、エアコンの故障か修理かの理由でまたゲートに戻ることになった。さらに待機の時間がながかったのでガソリンの補給もして、結局サンフランシスコ空港を離陸したのが予定より2時間遅れて現地時間午後1時15分だった。帰りの成田への飛行機では割とみんな近くの席だった。ここでジュニア留学の感想文を書いてもらい、提出。中には宿題に励む生徒や、感動的な映画を見て思わず涙した誰かさん。UNOをしたり、ここ10日間の思い出話に花を咲かせていた生徒。そうしているうちにあっという間に成田空港へ到着と言いたいところだが、待機の時間と実際の飛行時間を合わせて12時間。とっても長かった。

成田到着時間が大幅に遅れるため宮崎と佐賀の生徒の乗り継ぎがかなり厳しい状態だったので、ここで策を練る。その名もMISSION IMPOSSIBLE 。作戦内容は紙に書いてそれぞれの生徒に回して把握してもらった。@飛行機を降りる前に必ずトイレを済ませておくこと。着陸の1時間前くらいに見計らって行く。A飛行機を降りたら、とにかく走る。B指示にてきぱきと従ってもらうこと。Cとにかく走る!生徒達はこれらの注意事項に協力的に動いてくれ、入国審査も長蛇の列ができる前に終わらせることができた。ここでスーツケースがタイミング良くポンポンと出てきたらありがたかったのだが、ファーストクラスの荷物の後に私達の荷物はバラバラに出てきた。走って稼いだはずの時間も意味が無くなるくらい待つことになった。その間に私は宮崎と佐賀の飛行機の乗り継ぎのための必要な手続きをし、いざみんなで出口へ。ここでリュウキ君とヨウヘイ君とはお別れだ。急ぎながらも別れを告げ、すぐに羽田移動のバスに乗る。ここからは1時間半弱かかって羽田に着いたが、UNOをしたりアメリカで撮った写真を見せ合いっこ、睡眠を補う生徒がいれば桜を車窓から眺める生徒など、MISSION IMPOSSIBLEのこの大変な状況を考えると贅沢なほどゆっくりとした時間を過ごした。途中で東京ディズニーランドの真横を通ったが、それよりもアメリカと比べて日本の高速道路の狭さ、建物と建物の間の隙間の狭さ、日本に帰ってきて改めて気付かされる違いなどに生徒達の注意が向いていたのが、とても誇らしく興味深かった。

羽田に着くとタツヤ君とお別れ。ここでも急いで別れを告げ、ANAのカウンターへスーツケースを押して走った。残念なことに宮崎と佐賀の参加者の乗り継ぎには間に合わなかった。しかし成田空港で遅延証明書をもらっていたのでここであきらめずに作戦変更。その4人はひとつ遅い飛行機に乗れることになったので、また少し時間の余裕をもって搭乗手続きや荷物を預けた。名古屋空港へ飛んだみんなが無事に着いたのか、乗り継ぎは大丈夫だったのかと気になる生徒達。ホストファミリーだけではなく同じグループの仲間とも、本当に仲良くなったみんなだったことを感じた。それぞれの飛行機搭乗まで少し時間があり心に余裕が生まれたのか、お土産や飲み物を買ったりトイレに行く生徒がポロポロといた。そうしているうちにまた時間が迫ってくるのを感じたので急ぎながらセキュリティーを通る。みんなのゲート番号は近くに固まったところにあったのでそこまで歩き始めたが、これがまた思っていた3倍くらい遠い一番端っこのゲートだった。最初は動く歩道に乗ってのん気にみんなで歩いていたが、時計を見た後小走りするように指示をし、中には東京バナナの袋を揺らせながら最後はみんなでまた走る羽目になってしまった。やっと搭乗ゲートまで着き、MISSION IMPOSSIBLE成功を称えて記念写真をパチリ。別れを告げ、佐賀の生徒を二人連れて少し離れたゲートまでお見送り。そこで私も自分のゲートに移動した。

日本に着いたら今まで以上に日本食が恋しく感じていたみんな。空港の帰りのレストランか家について大好物のおかずを食べたかな?それともそのまま疲れ果てて寝てしまった生徒などそれぞれいたのだろう。明日から学校が始まる生徒がほとんどだったがこの10日間での出会い、思い出を胸に、新学期を元気に迎えてください。みんなの笑顔を見るのとホストファミリーとの出来事の話を聞くこと、また学校で友達と話をしている君達の表情を見るのが本当に楽しみでした。これからはそれぞれ離れた町で日常生活が新たに始まるけど、是非ホストファミリーには早いうちにまず感謝状を出して、今後の末永い交流を始めてください。これからもアメリカでのように多くのことに堂々と挑戦し、元気に素晴らしい人になっていってください。心から応援しています。みんなありがとうございました。
 
 
 
Tracy 活動レポート 04月04日 【写真】
 今日も昨日と同じTurlock Junior High Schoolに午前中お邪魔する。既にオフィスの近くに昨日みたいに生徒達が待っていてくれた。地元の新聞記者の方が来ていて、全体写真を撮ってからそれぞれの授業へ行った。体育の授業に参加をした生徒は基礎体力をつけるための運動に参加をしたり、三段跳び、バドミントンなどで身体を動かした。この学校にはバスケットボールのコートが18あり、体育館はバドミントンのコートは10もあった。この学校には珍しくロッカーがなく、体育用のロッカーだけがあるそうだ。バスケットのような形をして鍵がかけられるようになっていて、生徒達は体育の授業の前に自分の体操服をそこから取り出し更衣室で着替えていた。教科書は一人二つずつ渡されていて、学校と家に一冊ずつ置いて使うようになっているらしい。こうすることによって、学校に重たいカバンを持っていかなくて良くなる。中学1年生と2年生だけがいるこの中学校は、生徒が1500名弱いるらしく、とにかく大きな学校だった。その割りにはとてもきれいに掃除や管理が行き届いていて、25年前に建てられた校舎とは思えないくらいだった。

4時間目が終わるちょっと前くらいにみんなまたオフィスの近くで集合をしてそれぞれの生徒と別れた。学校の教頭先生のアシスタントの方が、私達一人一人の為にちょっとしたプレゼントを用意してくださっていて、それをそれぞれのパートナーからもらった。チョコレートやミニ手帳みたいなものが入っていて、学校のマスコットやスクールカラーでまとめてあった。最後に感謝の気持ちを込めて「ふるさと」をみんなで元気に歌った。アロン教頭先生やレスリー先生(プレゼントを包んで用意してくださった方)、そしてランチタイムになり集まって来た生徒達からは、拍手をいただき私達も嬉しかった。

別れを惜しみながらも車に乗り、スタディーセンターの真横の公園へ向かった。今日はみんなランチを持って来ないようにTCの先生から言われていたのだか、生徒へのプレゼントとして先生達がピザとコーラ、そしてデザートにシナモンロールとチョコチップクッキーを用意してくださっていた。ピザは全部で17箱分も買ってあった。男子達のレディーファーストが徹底していて、女子を先に食べさせてくれた。アメリカに到着してから今までとにかく素晴らしい天気に恵まれ、今日も本当に気持ちが良い快晴だった。コーラ片手に乾杯している生徒達。おいしそうにピザを食べながら、大きな木が沢山ある公園でとてものどかな時間を過ごした。ご飯を食べ終わるとスタディーセンターへ移動し、ホストファミリーへのプレゼント作りやさよならパーティーの準備に取り掛かった。トレーシーの市役所に行った日に生徒一人一人の写真を撮ったのだが、それを写真立てにいれてみんなにそれぞれ好きなように飾りつけをしてもらった。サヨナラパーティーの時に渡すものだ。それが終わると出し物の順番や各自練習、会場設定などをみんなで手分けして頑張った。トレーシーの町の生徒は4時になるといつものようにホストファミリーが迎えに来てくれてそれぞれ帰っていった。マンティカの生徒達は残り、テーブルセッティングなどの最後の飾りつけをした。

パーティーは6時半からだったが早い人は10分前くらいから来始め、最後の人が7時頃に来た。みんな揃うのが7時頃だろうというデブラ先生の予想は当たり、丁度そのくらいの時間にセイジ君とダイキ君の司会でパーティーは始まった。33人の生徒達のホストファミリーが集まり、会場はとにかく満席御礼。20個のテーブルを出していたが足りず、最後には椅子も足りなくなってしまった。本当に多くの人によって支えてもらっていることを改めて実感した。出し物はピアノや歌、武術を入れ込んだ劇やギター演奏、そして最後には折り紙、習字、茶道の紹介コーナーを設けた。女子生徒の中には浴衣を持ってきていたり、ホストシスターにプレゼントで持ってきてあげていた人がいて、パーティーをさらに華やかにしていた。次にTCの先生からそれぞれプログラム修了証書をもらい、自分のホストファミリーにプレゼントをあげる式があった。最後は生徒達みんなで「ふるさと」と「幸せなら手をたたこう」を歌い、ここでもまた拍手喝采。明日の集合時間、集合場所を確認し解散したのが9時前だった。ホストファミリーとの最後の夜を大切に過ごしてもらいたいと思う。

明日はいよいよお別れの朝。サヨナラパーティーで泣いてしまった女の子も何人かいたが、きっと明日は泣く人はかなり増えるだろう。私も必ずもらい泣きをしてしまう。TCの4人の先生は勿論多くのホストファミリーが、出発の朝のことを考えると胸が痛くなると話をしてくれた。短い間ではあったが、すごく家族と仲が良くなった生徒達。日本に帰っても、アメリカの家族との交流も是非大切にしてもらいたい。

生徒の日記から
今日は結構時間をかけて学校に行きました。学校では名前の紙を持っている子がたくさんいて、頑張ろうと思いました。パートナーの子は13歳で2こ下なのに私より大きくて、大きかったです(笑)理科は鏡を使って何かしていました。数学は一次関数と相似比と三平方の定理を一気にやっていて驚きました。でもみんな授業を聞いていないで、手紙が飛び交っていました。Spanishの授業ではどこまでが英語でどこからがスパニッシュなのか分かりませんでした。グラマーは形容詞と副詞をしているみたいで、単語すら分からないのに知るかって感じでした。ランチタイムはいろんな人に話しかれられてとても楽しかったです。「コンニチワー」と話しかけてくれたり、パートナーの子の友達もたくさん来てもの珍しそうに見てくれて面白かったです。一人男の子を何度も授業で見かけて、周りの女の子達がHe’s crazy. と言ったり He likes you.と言われたけれど、どう反応していいものか分かりませんでした。しかも15歳だと言う度に驚かれてAre you? と聞き返されました。しかも中庭でDJと音楽があって多くの生徒が集まっていました。大音量でHIGH SCHOOL MUSICALとかの音楽が流れていました。漢字を書くと「こんなにたくさんの棒を覚えてるの?」という感じのことを言われました。棒...ですか...。P.E.ではソフトボールをしていて打たせてもらいました。準備運動の時腕立てとかを一緒にしていたら先生が褒めてくれました。カウントを「いーち、にー」とするとみんな珍しそうに聞いてくれました。帰りに買ったチョコミルクの飲み物はとても「ちょこちょこ」していました。夕飯は日本でいうバイキングで、サラダに入っていた緑色っぽいものを食べたらすごくすごーく辛くて泣きそうでした。多分ししとうか何かだったと思います。でも他のはおいしかったので食べすぎました。明日は金曜日。帰る日も近いです。

 

Tracy 活動レポート 04月03日 【写真】
今日は朝からずっとTurlock Junior High Schoolへ行った。9時に学校に到着すると、既に今日のパートナー達が生徒一人一人の名前を持って待っていてくれた。生徒二人につき現地の生徒が一人だと聞いていたが、実際は一人ずつだった。それを聞いて中にはすごく嫌がったり不安になった生徒がいたが、自分を試して頑張る良い機会だと思って明るく元気に挨拶をしていくように話をした。一日中案内をしてくれるアメリカの生徒がみんな同じ紙を持っていたので見せてもらったら、日常会話で使うフレーズを日本語と英語で紹介してあるホームページをプリントアウトしたものだった。日本の生徒は辞書を、アメリカの生徒はその紙を片手に会話を楽しむことになるのだろう。教頭先生がまず迎えてくださり、「彼らの名前を発音する時、R は英語と違う発音になるからね」と自分の生徒に教えたりしていた。生徒達本人も、自分の日本から来た友達の名前を間違って発音しないように懸命に繰り返し練習していたのを見て、とても微笑ましかった。後で話を聞くと、今日私達日本人のお世話をする生徒は誰もができるのではなく、良い成績を保っている生徒が選ばれているらしい。だからアメリカの生徒にとっては、案内できるということはとても光栄なことだと考えられていると教えてもらった。

私達を歓迎してくれたアメリカの生徒達は、実は授業中に許可を得てクラスを抜けてきて、学校の入り口で待ってくれていたので、自己紹介などが終わったらすぐ日本人の新しい友達と一緒にさまざまな方向にある教室へと向かっていった。4人のTCの先生と私は、学校のオフィスで待機をしたり、日本人の生徒がいる授業の見学をさせてもらった(紹介が遅くなり申し訳ありませんが、TCの先生は4人女性が写っている写真の方々です。今日初めて四人を一緒に撮る時間の余裕ができました。左からコーリーン先生、ミシェル先生、デブラ先生、ローリー先生です)。今日の学校もランチタイムは二つに別れていて、一回目のランチは中学1年生らしい。明日の夜に学校でパーティーがあるらしく、それに向けてみんなの気持ちを高めるためにディスクジョッキーが二人校内に呼ばれ、みんなで踊ったりゲームを昼休みにしてかなり盛り上がっていた。そのパーティーに参加するには決められた成績以上の生徒であること、トラブルを起こしていないことなどが条件で参加費は5ドルだそうだ。明日のパーティーにも同じディスクジョッキーの人が仕事をするらしいが、彼らは結婚式や会社のパーティー、そして最近はよく学校での仕事が入ると言われていた。今月は35回のパーティーのお世話をするらしい。日本人の生徒達は本当にいろんな人から声をかけられていて、みんな頑張って会話を続けていた。何か酸っぱいものをアメリカの友達から試食するように勧められ、面白い反応をしていたツヨシ君。彼の周りにはものすごい生徒の数が集まっていた。自分の名前を日本語で書いてもらいたい生徒がたくさんいて、みんな一生懸命漢字を考えながら書いていた。2回目のランチは中学2年生用で、この年齢になると少し大人びているからか、あんまり音楽にのってこないとディスクジョッキーの人から後で教えてもらった。しかしキララさんが踊り出したらものすごい速さで周りに人が集まってきて、現地の生徒でダンスが得意な人が一緒に踊ったり自分の技を披露したりして、ちょっとコンテストみたいになって盛り上がった。

ランチの時間が終わるベルがなるとそれぞれがまた次の授業に行くが、その大移動は見ていて面白い。理科や大工、スペイン語や数学、コンピューターに体育、とにかく本当に様々な授業を生徒達は経験できたみたいだ。クミさんがいたコンピューターのクラスでは、まず授業が始まってからの10分は必ずタイピングの練習があり、その後最近はMicrosoft Wordの応用を授業で教えているらしい。ある国語のクラスでは授業の最後に腕相撲が始まったり、体育では腹筋をするはめになった生徒も。廊下を歩いていると、イラク戦争に派遣されている家族がいる生徒の写真と、実際参戦しているその家族の写真が貼ってあり紹介してあるコーナーがあった。ある一人の女の子の3人のお兄ちゃんは、みんなイラクにいた。その他には「いじめを無くそう」という声かけの手作りポスターが多く見られた。

2時15分に日本の生徒達は集合場所時集まり始めた。パートナーの友達と、明日会う約束をして別れを告げていると最後の授業が終わり、みんな一斉に教室から出てきた。徒歩や自転車、親の車で帰り始めるその生徒の数はすごかった。それが2時半。アメリカの学校は早く始まり、早く終わるのが一般的だ。明日はまた同じ中学校に午前中だけお世話になり、午後はサヨナラパーティーの話し合いに計画、練習、準備をして6時半からは本番だ。とても忙しく長い一日になりそうだが、みんな最後まで元気に笑顔で過ごしてもらいたいと思う。

生徒の日記から
今日はSierra High Schoolに行きました。ここではまずSierra Bandのみなさんの演奏を聞きました。私の知っている曲もあり、とても楽しむことができました。その後は私達二人に一人の学生さんがついてくださり、一緒に授業を受けました。授業でも多くの人が話しかけてくれ、たくさん会話が出来ました。帰る時に案内してくれた学生の人に折り紙を渡すと、とても喜んでくれました。その後はボーリングとバッティングをしに行きました。私にとって今日が初めてのボーリングで、できるか少し不安でしたがとても楽しむことができました。ストライクがでた時には、本当に驚きでした。日本に戻っても機会があればまた行ってみたいです。家に帰ってからはサラダとフルーツ作りをしたくさんの料理を運んで、ホストマザー、ホストファーザーの結婚31年周年を祝いました。Happy Anniversary!

 

 

Tracy 活動レポート 04月02日 【写真】
 今日はSierra高校での授業を受ける。ミシェル先生のワゴン車に乗ってきた生徒達は、高校に早く着いて時間に余裕があったために、マクドナルドに行ったみたいだ。朝からアイスクリームを注文した男子生徒やアイスコーヒーを飲んでいた女子生徒。朝からみんな元気だ。今日から4人目のTCであるローリー先生が一緒に行動される。彼女はヨシキ君のマザーで、ホストファミリーとして私達日本人を受け入れてくださったのが今回で16回目だそうだ。

Sierra高校はマンティカにある3つ目の高校らしい。来年度からは4つ目の高校ができるそうだ。アメリカでは16歳から車の運転ができるので、駐車場が先生と生徒用に別れていたのが印象的だった。まずはTCのコーリーン先生の友人であり、この学校で音楽の教師をされているRickさんの教室にお邪魔した。彼は日本にも住んでいたことがあり、かなり日本語を話されていた。教室のホワイトボードには「WELCOME 日本人!」と歓迎の言葉が書いてあり、みんな驚きと笑いをもってクラスに入っていった。このクラスはブラスバンドで、その中には1週間日本へ研修に行っていた生徒が15人ほどいた。埼玉や京都へ行き、地元の生徒と交流や演奏会をしてきたそうだ。私達のグループの中に楽器を弾く生徒がいるかを尋ねてくださり、ケイスケ君、ノゾミさん、フタバさん、アカネさん、セイゴ君、ハルナさんは、実際にアメリカの生徒と一緒に楽譜を見ながら練習をさせてもらった。他の私達はそれを鑑賞した。途中で2回くらい質問タイムをもうけてくださり、ヒロコさんやユキコさんが頼もしく英語で質問をしてくれた。ブラスバンドの授業の次は、アメリカ人の生徒一人につき日本人の生徒二人が、それぞれの教室についていくことになった。

この学校には生徒が2000人以上いるそうで、ランチの時間も二つに別れているらしい。中には今からランチの生徒もいたので、まだ10時40分だったけどカフェテリアや外でご飯を食べることになった生徒もいた。この学校では外にも屋内にもサンドイッチやお菓子、果物や飲み物が売ってあり、よく見るとお金を払わずにランチをもらっている生徒がいる。係りの人に話を聞くと、週のあたまに前払いをし、カフェテリアのおばさん達はコンピューターを使って支払いを受け付けていた。1ドル75セントのセットには、その日のスペシャルメニュー(今日は中華そば、昨日は照り焼きチキン)、サラダ、牛乳(チョコレート味か普通の牛乳)、果物、クッキーがついてくる。また、メインの食べ物としてピザやサンドイッチも売ってあった。ヨシエさんとクミさんのパートナーとして一緒に授業に連れて行ってくれるアメリカの生徒は、二人にクッキーをプレゼントとして買ってあげると言っていた。

12時になると、それぞれの生徒がいろんな教室から出てきて集合した。国語や幾何学、理科に上級スペイン語、音楽や物理学など様々な授業を受けてきたみたいだ。お世話になったアメリカ人の友達はまだ授業中なので、最後に一緒に写真を撮ったりプレゼント(お菓子や折り紙など)を渡して別れた。明日はまた違う学校へと行くが、明日も同じ学校に来たいという生徒が多かった。

ランチの時間がまだ来てなかった生徒は移動中にランチを食べた。午後からは同じマンティカにあるボーリング場で過ごす。生徒達はかなり楽しみにしていたみたいだ。アメリカと日本の靴のサイズの寸法が違うので、昨日の宿題の一つは、自分の足のアメリカサイズを調べることだった。みんなちゃんと調べてきたみたいで、靴を借りるのはスムーズにいった。2ゲームずつボーリングをして、途中でアイスクリームやジュース、ハンバーガーなどを買って食べながら時間を過ごした。アオイさんのホストファミリーも一緒に午後を過ごした。ホストシスターとおそろいの親友ネックレスをしている仲が良い二人は、ウェルカムパーティーの日からとにかくすぐ仲良くなったとホストマザーが教えてくれた。ボーリングの後は同じ施設の外にあるバッティングセンターで、少し練習した。今日は私のホストファミリーからのプレゼントで、裏庭から取ってきた甘いオレンジを40個ぐらいみんなで分けて食べたのだが、いくつか余っていたので、そのオレンジを使ってキャッチボールもした。「みかんは投げると甘くなるってよく言われる」とある生徒が教えてくれ、本当かどうか定かではないが楽しく、時には落として汁を飛ばしながら投げた。棒でたたいたスイカみたいな割れ方をしたオレンジを、みんなで分けて食べた。とにかく甘くて美味しいオレンジだった。

明日はターロックという町にある中学校に一日中お世話になる。デブラ先生から明日の流れとサヨナラパーティの話があった。明日の朝にみんな、自分が披露する出し物の内容とどのくらい時間がかかるかを紙に書いて提出するようになった。帰りにTCの先生からマンティカの観光パンフレットと、カリフォルニアの情報が載った面白い便箋をプレゼントしてもらった。アオイさんは自分のホストファミリーと一緒に帰り、他のみんなはそれぞれの大型ワゴン車で帰路についた。


生徒の日記より
今日は6:30に起きて準備をした。朝ご飯はいつも通りコーンフレークと牛乳だった。昨日は家を出るのが遅れそうだったので、今日はすごく急いだ。ランチはいつもと同じサンドイッチにクッキーだ。今日のサンドイッチは昨日よりうまくできたので、とても嬉しかった。学校では地理の授業をしていて、とても面白かった。日本とは違い、スクリーンにタッチしてマウスを動かしていたりして、とても楽しかった。消防署では、実際に火災用の服を着て見せてくれた。とても重そうだった。でもすごくかっこよかった。ホームスクールでは、実際に自分の子供に教えている姿を見たり、一緒に授業を受けたりした。日本には無いスタイルだったので、とても驚いた。公園ではケーキを食べたり、カードをもらったりした。ここまで準備してくれているとは思ってもいなかったので、とても嬉しかった。みんな本当にありがとう。4月1日生まれでよかったです。家ではBIRTHDAY PARTYをしてくれた。お昼の時みたいなケーキだったので、すごくビビった。また、たくさんの人も来てくれた。みんなプレゼントありがとうございました。
 
 
 
Tracy 活動レポート 04月01日 【写真】
 今日も大型ワゴン車で移動。移動中に昨日のホストファミリーとの時間の様子を数名の生徒に尋ねる。ユウコさんとフタバさんの家族は、両親の友達が大勢家に来て、トランポリンで遊んだり、ウノ、卓球をしたりして騒いだそうだ。ヒロコさんとサチナさんは、豚カツを作ってあげたらしく、デブラ先生はとっても美味しかったととにかく絶賛していた。肉じゃがを週末に作ってあげたハルナさんとアカネさん。昨日のディナーがとにかく美味しくてお代わりをし、さらにクッキーを食べたと教えてくれた。ナツキさんとエリカさんは、やんちゃなホストブラザーに手を焼きながらも折り紙を教えたりしたらしい。ふたりのホストマザーは、今年の夏はTCの先生として参加されるみたいで、すごく楽しみにされていた。

トレーシーにあるWilliams中学校に着くと、外では体育の授業があっていた。私達は体育の先生からポーランドからのゲームを教えてもらった。12人、プレーをしたい生徒を募り身体を動かしたが、慣れる前に次の授業に行くことになった。今日は5〜6人程のグループに別れ、社会や国語の授業をそれぞれ受けた。ケイスケ君は黒板に日本語を書いて紹介したらしく、アオイさん、リュウキ君、ダイキ君はクラスの前で自己紹介をした。日本のことについてアメリカの生徒が質問をしてくれるのに答えたエリカさん。クラスによっては、普段通りの授業の流れの中に入らせてもらった生徒もいれば、アメリカの各州の場所を前に出て当てる社会の授業に参加したユウヤ君やツヨシ君もいた。授業中は隣の席の友達と私語ができないので、短い休み時間にプレゼントを渡した生徒が何人もいた。生徒の中には五円玉にリボンをつけてお守りのプレゼントを渡していた人もいれば、日本のお金を紹介するために硬貨をたくさん持参していた人もいた。ユイさんはお世話になったクラスの先生に剣玉をプレゼントしたら、泣いて喜んでくださったそうだ。今日お土産を持っていくのをうっかり忘れていたアミさん。いろいろ考えて日本から買ってきたプレゼントがあるらしく、明日は持ってこようと決心したようだった。マミさんはいつも日本のお菓子をTCの先生に紹介しながら分かち合っていたが、今日は新しい友達にはお菓子は渡せたのかな?別々の授業を周りは殆どがアメリカの生徒の中で過ごした時間。とても苦痛に感じた生徒もいれば、もっと他の授業を受けたいと話していた人もいた。わずかな休み時間を現地の生徒達は次の授業の教室への移動の時間に使う。でも中には同じクラスだったアメリカの生徒が私達に声をかけてくれたり、「私はアニメが好きなの」と言ってくる生徒もいた。この学校は2千人程の生徒がいて(生徒による情報)そのうち中学2年生(8th graders)がロッカーを持っているらしい。(アメリカでは地域によって異なるが、小学校6年間、中学校2年間、高校4年間というシステムが多い)短い時間だったけど、生徒達は日本とアメリカの学校の違いをどれだけ見つけ出したのだろうか。明日の日記が楽しみだ。

次は消防署へ向かった。途中にコーリーン先生が運転していた大型ワゴン車にガソリンを入れないといけなかったので一休み。1ガロン3ドル63セントのガソリンを、27ガロン弱いれたため、ガソリン代は100ドル弱。これには驚いた。消防署とホームスクールの家が歩いてすぐの場所だったので、二つのグループに分かれた。ミシェル先生と私は、まず半分の生徒を消防署に連れて行き、そこで働いている3人の消防士の方々から施設や消防車の説明、消化作業の話などを聞いた。消火活動の練習として、私達も順番にホースを使わせてもらった。全部で重さが27キロくらいある防火チョッキや酸素ボンベなど、説明をしてくださった消防士の方は2分で着用してすぐに火災現場へ出動できると話をしてくださった。(ちなみに消防士が消火活動中に着ている服、装具は全部で約35〜40万円くらいするらしく、2セットずつ提供されているらしい)デブラ先生とコーリーン先生が後で交代して残りの生徒を消防署に連れて行った時、同じ消防士の人に実際緊急時に着替えてもらいタイムを計ったら、なんと1分20秒でできたそうだ。アメリカも日本もどの国も、私達市民を守ってくれる人達は本当に頼もしい方ばかりだなと感じた。この消防署は小さな規模で、48時間のシフトが組まれているらしい。常に3人の消防士が寝泊りしていて、施設にはキッチンや筋力トレーニングの機械、テレビやソファーなどが完備されていた。タツヤ君が今日はいくつか質問をしてくれて、どの消防士さんが料理をするのか、消火活動中は熱いのかなど教えてもらった。

消防署の近くの家で自分の子供を教えているAngelaさんの家にもお邪魔した。今日はカリフォルニア州の地理の勉強をしていたらしく、屋根がある裏庭みたいな場所で授業に参加した。子供さんは2人で、すぐ近くの学校から教科書や必要な参考書などは借りて教えているそうだ。月に一回は学校で自分達の学習の進み具合を先生と話し合い、年に一回は試験を受けてしっかり学んでいるかを確かめると、男の子が教えてくれた。Angelaさん自身も子供の頃に4年間はホームスクールだったらしく、普通の学校に行くよりは時間の融通が利くし、子供が分からないところは充分に時間をかけて学び、簡単なところはどんどん進んでいけるから良いとおっしゃった。私事になるが高校生の時に、私の家にアメリカの男の子がホームステイをしながら地元の高校に一年間留学したことがあった。彼は小さい時からずっとホームスクールで学んだ人だった。中学3年生の時点で既に高校までの勉強が終わり、さすがに大学に行くのは早すぎるということで日本への留学を決心したらしいが、既に日本語もかなり話せていた。辞書や漢字源を普通の本の様に読んでいて、他に英語、スペイン語、インドネシア語にその他ロシア語だったと思うが堪能で、全てテキストやCDなどでマスターしていた。頭はすごく冴えていたのだろうが、友達作りが苦手だったり、ちょっと常識に欠けいて、さらに親離れ子離れが全くできていない留学生だった。その話をAngelaさんにしたら、彼女も自分の子供達にとって他の友達との交流は成長、自己確立には必要不可欠だと考えていらっしゃるようで、地元のスポーツチームに入ったりいろんな場所へ出かけて行き、友達を作るように心がけていらっしゃるそうだ。授業の最後は裏庭に飼ってある2頭の馬を見せてもらい、また触らせてもらった。

文化交換会ではイースターの祝日にアメリカの一般家庭ではどんなことをして祝い、遊ぶのかを実際にさせてもらった。みんな一人5個ずつゆで卵を持って来るようになっていて、それを青、ピンク、黄色、緑、紫などの着色料の入った水につけ、色を染める。それを大人が隠し、子供は探しにいく遊びをするそうだ。私が高校留学をした時のイースターでは、卵型したプラスチックの容器にチョコレートや25セント硬貨、たまには1ドル札が入っていたので、ホストブラザーやいとこ達が必死に探していたのを覚えている。(アメリカではお小遣いがないので、手伝いをしなくてお金をもらえることはめったになかったからだろう。)女子は複数の色を使ってきれいな色に仕上げたり、こだわりを持って染色している生徒が多かったが、男子はわざと殻をむいてそれを染色したり、染色する前に食べてた人もいた。それを見たTCの先生は「Boys will be boys.」(どこの国でも男の子は一緒だ)ということを呟いて笑っていた。

実は今日はマオさんの誕生日だった。昨日のランチの時間にマオさんに内緒でみんなにメッセージを書いてもらった誕生日カードと、TCの先生が用意してくださったケーキをプレゼントして、みんなでHappy Birthdayを歌った。アメリカで迎える誕生日。思い出深い日だったことを願う。アメリカのケーキはみんな予想通り甘すぎたようだ。一人の男の子は「これ一個食べただけで糖尿病になるわ」と言っていたのがおかしかったが、それだけ本当に甘かった。

明日はマンティカにあるSierra高校へ行く。午後はボーリングだ。さよならパーティの話がデブラ先生から少しあった。歓迎パーティをしてもらった同じ場所でさよならパーティを行うが、台所が無いのと当日は午前中は学校で料理する時間も殆ど無いということで、今回は日本のお菓子を試食してもらいながら出し物をするようになった。キララさんはダンスをしようと張り切っていた。他にTCの先生からギターを借りて披露する予定の生徒など数人は手を挙げてくれたが、他のみんなはまだ何をするかを考えていないようだった。ホストファミリーは自分の生徒に是非何か芸を披露してもらいたいと楽しみにしている。他の友達と話し合って必ず一つのことには参加をしてもらい、パーティーをみんなで盛り上げていきたいと思う。


生徒の日記より
今日は小学校に行きました。みんな年下なのにすごく頭が良かったです。初めて行ったアメリカの学校はすごかったです。写真をあまり撮らなかったので撮ればよかったと思いました。市役所に行きました。市役所はすごくきれいでした。1年前に造られたそうです。トレーシーは80年前は1000人程の人口だったのに今は81000人もいると知ってびっくりしました。いろんな仕事があって全部すごく細かいことが分かりました。その次に郵便局に行きました。記念に切手を買いました。日本に手紙を送る用の切手も買いました。警察署に行きました。全てがかっこよかったです。警察犬はすごくかわいかったです。日本では引退したらパートナーと別れてしまうけど、アメリカは死ぬまで一緒だと聞いて安心しました。夜にホストファミリーの家族が集まりました。ベラという料理を作るのを手伝いました。すごく疲れたけど楽しかったです。

 

 

Tracy 活動レポート 03月31日 【写真】
ホストファミリーとだけの週末の二日間。生徒達にとっては長く感じただろうか、それとも短かっただろうか。週末にもうひとつのホストファミリーの家に移動をしたシュンスケ君。今日は新しいお父さんからのお見送り。真っ赤で大きなトラックに乗りカウボーイハットのホストファザーは、本当のカウボーイみたいだった。今回のジュニア留学では期間中に二家族にお世話になる生徒が3名いる。是非その出会いを大切にして、二家族とも仲良く交流を続けてもらいたいと願う。

今日から午前中は学校訪問が始まる。15人乗りの大型ワゴン車2台とデブラ先生の車の計3台で大移動。先週と比べると男子と女子は少しずつ仲良くなってお互い話しをするようになってきたが、女子ばっかり乗っているワゴン車に乗らないといけなくなった数人の男子はかなり不安、不満そう。アメリカでは男子も女子もみんな仲が良いのが当たり前らしく、日本人の生徒が男女で別れて行動するのは「Very strange」とTCのコーリーン先生がコメント。車で20分程走りお世話になる学校へ到着。ここはSouth/West Park Schoolという名前の小学校で、SouthとWestに校舎が別れているようだ。私達は南のキャンパスにあるMrs. Jayne先生のクラスにお邪魔させてもらった。このクラスはみんな聡明で同じ年の生徒より才能、可能性にあふれている生徒達がいる特別なクラス。アメリカの殆どの学校に才能のある生徒(Gifted childrenと呼ばれている)だけのSpecial Classはあるが、普段は放課後や午後の授業をその特別学級で過ごし、他の時間は同じ学年の生徒と授業を受けるようになっている。しかし今日お邪魔した学校はそんな利発な生徒が大勢集まった学校で、学校生活の一部だけではなく朝から午後まで一日中の授業を、才能のある生徒同士で受けることができる学校だとMrs. Jayneが教えてくれた。そんな学校はカリフォルニア州でも6校しか無く、この学校がそのうちの一つだそうだ。その他にスペイン語しかまだ話せない生徒のために全てスペイン語で授業が受けられ、英語を学ぶクラスも充実している学校らしい。校長先生と教頭先生はとても感じが良い人達で、女性の校長先生と、とても背が高い男性の教頭先生だった。私達が後で学校の案内をしてもらっていた時に歓迎の言葉をかけてくださった。

Mrs. Jayne先生のクラスには20人程度の生徒がいて、出身の国も様々だった。(アメリカ、メキシコ、中国、レバノン、フィリピン、ベトナム)私達を教室に招いてくださり日本人の生徒2〜3人につき、一人の現地の生徒が友達となり、隣同士に座らせてもらう。日本のどこから来たのか、トレーシーの町のこと、お互いの話などを地図や世界の旗の本を見ながら交流を持った。途中で会話が難しそうにしている生徒達に対してMrs.Jayneが、話すだけではなくて紙に書いてあげたり、辞書を使ったらお互い分かりやすいのではないかとクラス全体に声をかけてくださり、みんなすぐに実行していた。みんなが座っている机や椅子も日本のそれとは違い、特に机は上の部分が蓋のようになっていて、そのまま上げれば教科書や筆箱などを収納できるようになっていた。Mrs. Jayneが学校の一日の流れや学校の歴史を説明してくださり、その後は校舎の案内をしてくださった。この学校はもともと小さな規模で始まり、古い校舎は60年前のものだそうだ。現在は生徒が二つのキャンパスを合わせて千人を超え、10年前に新しい校舎が増設されたらしい。運動場やカフェテリア、旧校舎や新校舎を見せてもらって教室に戻ると、ドーナツとオレンジジュースを用意してくださっていた。外では休み時間らしく、大勢の生徒が外で遊んでいる。この学校は一日に3回の休み時間があり、一回目は15分、ランチが20分、午後は10分の休みだそうだ。外では剣玉に似た道具を使って遊んでいる生徒がいて、TCのミシェル先生曰く、まさしく剣玉ももうちょっと簡単にして作られた道具で、生徒の手首のバランス感覚を養うために使われているのだと説明をしてくださった。Mrs. Jayneのクラスでは、男子生徒の誰かが本物の剣玉も持ってきていて、ヨシキ君、タツヤ君、ユウヤ君、タツヤ君、ツヨシ君、シュンスケ君など、順番に披露していた。アメリカの生徒もトライをして一人の男の子は手を使って成功させ、みんなで盛り上がっていた。

Mrs. Jayneと生徒とお別れをした後は、次の目的地へ。スケジュールの最終調整後、今日は市役所、郵便局、警察署に行くようになっている。市役所ではMattさんが案内役となり、まずはトレーシーの町の歴史を説明してくださった。市として設立されたのがわずか100年前らしく、日本の歴史と比べるととても新しく幼い町になるでしょうと言われていた。当時の人口は1000人程度だったが、現在は81000人に増加。市役所は去年新しく建て替えられたらしく、かかったお金は2600万ドル!隣町出身のTCの先生は「私がここの市民だったら、こんな多額の税金を建て替えに使われたら良い気分はしないだろう」と言っていたが、私もそれには賛成だった。とにかくきれいな建物だった。Mattさんからトレーシーのピンバッジをプレゼントしてもらった後に市役所の中に入るとまず窓口ではなく、裏のオフィスを見せてもらった。そこではトレーシーの市議会が開かれる度に決裁された法律や、人口の増加など様々なことを記録されている書類を見せてもらったりした。100年前の記録書も実際に触っていいと言われた。後で尋ねると全ての書類はコンピューターに保存してあるので、もし汚れたり破れたりしても大丈夫なのだそうだ。また実際に触れたり間近で見ることによって、生徒、市民がその歴史の大切さをより理解できると考えられていて、そちらのほうをより重要視されているみたいだった。その後は市議会が開かれる場所も見せてもらい、生徒達も実際に市長さんや議員の方の椅子に座らせてもらった。トレーシーの市には市長さんの他に議員さんが4人。なんとその数少ない議員さんの一人が、ウェルカムパーティーの時に生徒みんなにプレゼントを下さった、ミカさん、リサさんのホストファザーだった。みんな改めて、あのお父ちゃんの偉さに感心していた。記念に、ミカさんとリサさんはホストファザーの椅子に座って写真を撮った。男子は視聴者席に並んで座ったりして楽しんでいたようだ。この議会の様子は市民が視聴したり、生中継でテレビ放送されているそうだ。

郵便局まではまた来るまで大移動。郵便局に以前勤めていたというTCのデブラ先生が、私書箱や手紙の投函の仕方などを説明してくださった。その後切手を買いたい人だけ郵便局の窓口まで行き、他の生徒は外でコーリーン先生とデブラ先生と待機。ミシェル先生は一人一人が切手を買うのを手伝ってくれた。日本の家族や友達に手紙を出すために切手を買う人や、記念にスターウォーズやディズニー、星条旗の切手を買う生徒など様々。ちなみにアメリカ国内での切手は41セント。国際便は葉書も手紙も同じ90セントだそうだ。

警察所までは、トレーシーのメインストリートをみんなで歩いて行った。そこではボランティアのおばさん3人が案内をしてくださり、犯罪現場を調査する部門や犯罪の報告書を書く場所、逮捕された人が一時的に拘束されている場所などを見せてもらった。その後パトカーが沢山駐車してある外に出て、何人かの生徒は実際に逮捕された人が乗る後部座席に乗せてもらった(完全に駐車した状態で)犯人や容疑者が走行中に飛び降りたりしないように、後部座席のドアにはハンドルも何もなかった。サイレンも鳴らしてくださったのだが、これがとにかくうるさい。そこでノゾミさんがボランティアの方に鋭い質問。「サイレンの音が違いますが、意味があるのですか?」サイレンには、走行中の車に道路脇に寄ってもらうように促す音、緊急時に道を開けてもらうような合図など、違いがあるそうだ。同じ駐車場に停めてあったSWATティームの車やパトロールバイクの説明の後は、警察犬のシドを見せてもらった。ここの警察署の警察犬は全てドイツから輸入・購入してさらに訓練をしてあるそうだ。容疑者の逃亡を防いだり、証拠隠滅を試みる犯人を追跡し、ちゃんとヤブや川などから銃や刃物を見つけ出してきたりするらしい。警察犬専用のパトカーがあり、しっかりエアコンの設備が整っているらしい。警察犬はパートナーの警察官と一緒に住んでいて、4〜5年ほどして退職した後は、同じ警察官のペットとして飼われるらしい。指示を出す時は英語ではなく違う言葉で話すそうだ。今日いろんな所で(学校、市役所、警察署)「Do you have any questions?」と尋ねられた生徒達。ここでダイキくんが初めて質問をしてくれた。「警察犬は銃で撃たれたり、刺されたりすることはあるのか?」「どのくらいの訓練をして警察犬になるのか?」シドは撃たれたことはないらしいが、他の警察犬は撃たれたり刃物で刺された犬がいるとのこと。シドは2歳の時に警察署から買われてアメリカに来たらしいが、子犬の時からしっかり訓練を積み、アメリカに来てからは1日12時間の訓練を5週間集中的にしてから初めて警察犬として仕事を始めるらしい。「あの犬、俺よりすげー」とダイキ君。シドはこの後獣医の約束があるため、私達の前を颯爽と去っていった。

今日はとにかく快晴で、半袖になる生徒もいた。途中でのどが渇いた生徒が多かったので明日からはランチを用意してもらう時にペットボトルの水をもらうか、水筒を貸してもらうように伝えた。警察署の後はトレーシーのスタディーセンターに戻り、マミさんとコーリーン先生(ホストマザー)が週末に作ってくださったブラウニーをいただきながら、明日のスケジュールをミシェル先生が説明。明日はWilliam中学校を訪れる。その後消防署へ行き、ホームスクールをしている自宅を見学。(アメリカではお父さんかお母さんが自分達の子供に自宅で教える人がいる。)そしてイースターの祝日のことを文化交換会として学びます。

 

Tracy 活動レポート 03月29日、30日
 週末は私も自分のホストファミリーと時間を過ごした。生徒からはもし何かあったら電話をするように伝えてあり、ホストファミリーもそのことはご存知なのですが、セイゴ君のホストファザーから電話がある。どうもパスポートが見つからずセイゴ君が心配しているとの内容だった。生徒のパスポートと帰りのチケットはサンフランシスコ空港で全て私が預かり期間中は施錠したスーツケースの中で管理をしてます。セイゴ君はうっかりその事を忘れていたみたいなので、本人にもその事を伝えたら安心している様子だった。パスポートの重大さをきちんと理解しているからこその不安感。そういうセイゴ君に感心して受話器を下ろした。そのセイゴ君は週末、ホストブラザーと一緒にいたずらをして遊んだと教えてくれた。ユウヤ君はJelly Beansの工場見学に行き、その後ゲームセンターに行き、帰りは食べ放題のレストランで1日が終わったらしい。エリカさんとナツキさんはホストファミリーやそのいとこと一緒に家で遊んで、折り紙を教えたりしながら時間を過ごしたみたい。リュウキ君とダイキ君のホストマザーは親子らしく、一緒にヨセミテ国立公園に行き、ロッキー山脈を見に行った。アオイさんは買い物に行った時にホストシスターとお揃いのネックレスを買ったと見せてくれた。ヨシキ君、ハルナさん、アカネさんはホストファミリー達と一緒にサクラメントの町に行き、散策を楽しんだみたいだ。週末したいことのリストを書くように言われていたリナさんとユイさんは、洞窟に行ったらしい。他にもゆっくり映画を何本もホストファミリーと見た生徒や、日本料理を作ってあげた人、日曜日は教会に行った人など様々だった。

私はホストファミリーからシナモンロールの作り方を教えてもらった。また、近所に引越ししてきた家族がいるらしく、その人達のためにチョコチップクッキーも一緒に作った。アメリカでは誰か引越してきたら、その地域に既に住んでいる人達が手作りのものや花などをもって、新しい住民を訪ねて行き歓迎するのだそうだ。日本とは正反対の習慣。それと、少ない写真ではありますが、家の中で日本と違うところを数枚写したので紹介します(注:31日の写真上部にあります)。洗濯機は必ず横に乾燥機があり、乾燥機を回す時にはFabric softenerと言って柔軟剤を入れます。この柔軟剤は紙のようになっていて、一枚入れたら服が乾燥した時にとてもいい匂いがするように香りがついているものが多いです。アメリカでは洗剤もとにかく大きい。家の中には食器洗い機も大きく、沢山のものを入れることができる。また、まな板は戸棚から出てくるように作られている家もあるようだ。お店には甘いものが沢山売ってあり、毎日生徒が食べているであろうシリアルの数も、とにかく多いです。あと1週間弱で美味しい日本食を食べれるみんな。是非、残りの時間もいろんな食べ物に挑戦して、帰国した際は家族や友達にものすごい色をした食べ物や美味しかったディナーなど、お土産話をしてもらいたい。


生徒の日記から(3月29日、土曜日)

今日はお休み。ショッピングモールに行きました。そしたらユキコちゃんに会いました。びっくり。Motherはソックスを買ってました。9月にサンフランシスコまで(60マイル)歩くそうです。三日かけてなので「良い靴を、良い靴下を買わなきゃ」と言ってました。ユキコちゃんとhost sisterと三人でモールを歩きました。服やアクセサリー、お菓子楽しかったです。お昼はモールのピザを食べました。うまかった。そしてデカかった。夜ご飯、マザーに「私とケンはカレーが好きなの。だから作り方を教えて」と言われたので材料を買って作りました。なんか違ったけれど、まあオーケーでした。その後ブラウニーも作りました。めーっちゃ、うまかったです。ほっぺがずり落ちそうなくらい。あっ、ブラウニーを食べながら「ゴーストバスターズ」を見ました。でも眠くて英語で分からなかったで、ほとんどウトウトでした。では寝まーす。See you.

生徒の日記より(3月30日、日曜日)

今日は7時半に起きて、ホストファミリーの車で教会に行った。ホストファザーとホストマザーはミーティングのため、私達はふたりでアメリカ人の4〜5人いる部屋で1時間待っていた。すごく心配だったけどみんな優しい人達ばかりだったので、安心することができた。もっと英語が喋れたらもっと会話ができたのにと、ちょっとショックを受けた。その後教会でミサが行われた。日本のミサとは違い牧師さん(??)のような人はいなくて、普通の服を着た人が話を進めていたので驚いた。私の学校はカトリックなので、聖体礼拝が同じなのを見て、同じところもあるんだと少し感心していた。また話も長くてさらに言葉も早すぎて伝わらない(分からない)ため少し眠く感じた。そしてお昼にピザ屋さんに行ってピザを食べた。とてもおいしかった。そして一度家に帰って、ホストファザーとスーパーに行った。そこで材料を自分達で買って私達は2人で夕食を作った。私は肉じゃがを作り(米も)、ヨシエが卵焼きを作った。後ふたりでお味噌汁を作った。肉じゃがをすごく喜んでくれたのでとても嬉しかった。そしてお風呂に入った後、洗濯の仕方を教えてもらった。

 

Tracy 活動レポート 03月28日 【写真】

今日はサンフランシスコへの終日研修。マンティカの町にホストファミリーが住んでいる生徒達は、TCのデブラ先生の家が集合場所になっている。今朝はしっかり防寒して来た様子だった。なかにはホストマザーから上着を借りてきていた生徒も数人いた。昨日の夜から自分の本来のホストファミリーのところに移動したクミさんは、そのホストマザーからのお見送り。「お化粧してないのに」と言いながら笑顔でクミさんの肩に手をまわしてパチリ。今日の運転手さんもサンフランシスコ空港到着日と同じエディーさんだった。彼はすごく気を遣ってくださり、サンフランシスコの街の中できれいな場所、有名な場所になると写真を撮るように声をかけてくださっていたが、半分くらいの生徒は寝ていたり、または映画を見ていた。(TCのミシェル先生が2時間半のバス移動は退屈だろうということで、DVDをたくさん持ってきてくださった。多数決で行きと帰りに見る映画を決めた。)
マンティカのみんなの人数確認が終わるとトレーシーの町へ行く。全員揃うと早速サンフランシスコに向かってLet’s go。ミシェル先生は何か大きなものを持ってバスに近づいてきたのでよく見たら沢山の上着を持っていた。理由を尋ねると寒くなった生徒に貸すためだそうだ。本当にいろいろと気を遣ってくださるホストファミリーやTCの先生には感謝だ。

サンフランシスコまでの道のりは車窓からの景色が変わり面白い。生徒の中にはこの辺りの地形の変化をしっかり観察している人がいる。ここで寝ている人と起きて見ている人では、得るものが違ってくるのだろう。みんな夜にしっかり寝て、日中は時間を充分に活用していろんな事を体感、観察して欲しいと思う。移動時間に生徒やTCの先生と話した。ヨウヘイ君をホストしているミシェル先生は、日本に行ったことはないけど日本のことが大好きな方だ。日本食もそうめん、肉じゃが、味噌汁、すき焼きなどが大好きで、今回私は彼女に頼まれてすき焼きと肉じゃがのレシピを持ってきたくらいだ。(ミシェル先生はずっと前からTCの先生を何度もされている)ミシェル先生の今日の朝ご飯は味噌汁。家で食べる時間がなかったのだろうか、ストロー付きの魔法瓶に味噌汁を入れて持参していた。ストローに小さな豆腐やわかめを詰まらせながらも「I love miso soup.」と笑顔。アメリカにもホッカイロがあるみたいで、これも生徒の為にと持ってきてくださっていた。ヨウヘイ君は英語をけっこう理解できるみたいで、家ではいろんなことが話せて楽しいとミシェル先生。ヒロコさんとサチナさんのホストマザーも、2人が家ではよく話してくれると教えてくれた。ヨシエさんとマオさんから聞いたところによると、15日前にホストファミリーに初孫が生まれたらしく、その赤ちゃんを生徒達もだっこをしたらしい。ふたりのホストファザーは今日一日仕事を休んでくださり終日研修の引率に来てくださった。移動中に今朝集めた日記に目を通す。私が直接目にしない、生徒達が家に帰ってからのホストファミリーとのふれあいの時間が書いてある。教えてもらった単語を「英語の部屋」にしっかり書いている生徒や、もっと積極的に話しかけようと自分を励ます生徒など様々だ。中にはびっしりと日記を書いている生徒も。その生徒にとってこの日記は後で貴重な記録・宝物になるだろう。

そうしているうちにサンフランシスコの街が見えてきた。今日は快晴。まずはゴールデンゲートブリッジへ。青い空に赤い橋。とてもきれいだった。海外ドラマのフルハウスにでてくる橋だと気づいた生徒は改めて感動していた。みんなでグループ写真を撮ってから40分ほど自由行動。近くのお土産屋さんで財布からお金を出して、手に持ったまま歩きまわっている生徒がいたのですぐ注意。「Oh, sorry」との返事が返ってきた。ポップコーンや葉書を買ったりして、みんなちゃんとレシートやお釣りの確認をしていたので嬉しかった。コインの使い方をマスターしたいという生徒は、どれが何セントか確認に来てくれた。みんな集合時間を守り、次はゴールデンゲートパークというとても広い公園に行った。ここでは春休み最後の週末を楽しもうと公園内でバーベキューをしたり遊んでいる家族の姿が見えた。公園の中に現代的な美術館や博物館、日本庭園もあった。公園の全景を見れる展望台が無料だったので希望者だけ一緒にエレベーターで上がった。他の生徒は集合場所、時間を確認後それぞれ行動。

この後はサンフランシスコでも有名なPIER39という場所に行った。当初のスケジュールだとここでの時間が余りにも少ないということで、午後に乗る予定だったフェリーの時間をずらして、ゆっくり歩き回れるようにTCの方がしてくださった。生徒は4人から5人ずつのグループに分かれて自由時間。レストランでご飯を食べたり、売店で軽食を買ったり、お土産探しに励む生徒などそれぞれ。残念なことに生徒の一人が、公園にカメラを忘れてきてしまったことに気づきそれを教えてくれた。TCの先生にその場所に電話をしてもらい、もし見つかったら電話をもらうように手配してくださったが、アメリカでは置きっぱなしにしてあるものはほぼ100パーセント戻ってこない。その生徒には使い捨てカメラを買うように勧めた。
フェリーの時間は5時半だったので、それまでに各自夕食を買うか食べるように指示があっていた。クレープにホイップクリームが日本では考えられないくらい沢山のったものを買っていたマミさんとユウミさん。おいしかったかな?サチナさんのピザはとてもおいしそうだった。

フェリーに乗る頃には天気が変わり、小雨が降ってきた。それでも船が動き出したら半分以上の生徒が屋根無しの場所へ移動して外を眺めていた。生徒の中にはとにかく積極的にTCの先生と話をする人がいて、見ていてとても誇らしい。有名なアルカトラズ島の近くを通り、ゴールデンゲートブリッジの向かい側の陸地に到着。レインコートを着た運転手のエディーさんが笑顔で私達の帰りを待ってくださっていた。あまり渋滞してなかったのか、トレーシーに早めに着きそうだったので、ここでおなかが減った生徒のためにファーストフード店がいくつも並ぶ場所で30分ほど時間を作ってくださった。さすが食べ盛り、育ち盛りの中高生。いろいろ買ってバスに乗ってきた。

明日からは2日間ホストファミリーとの週末。昨日のパーティーの時に、自分の生徒に週末何をしたいか確認して欲しいと言ってくださる家族がいくつもあった。中には生徒にしたいことのリストを作るように話をする家族もいた。唯一の週末だから、できるだけ生徒に楽しい時間を過ごして欲しいと思ってくださっているのが本当に伝わってきて、「Thank you.」だけでは言い表せない感謝の気持ちがこみ上げてくる。月曜日は、スケジュールの最終調整後に訪問する学校がSouth West Park Schoolというところになったので、そこへ行く。それから町を散策、博物館、警察署、郵便局に行く予定だ。ここで日本の家族や友達への手紙を書いた生徒達は、切手を買ったらいいだろう。いよいよ学校訪問が始まる。みんなには折り紙を持ってきてもらうように伝えた。週末もしっかりホストファミリーと会話に励み、月曜日からの友達作りに役立てて欲しいと思う。

生徒の日記から

今日はまずMickee’s Grove Historical Societyに行って昔のアメリカの学校の様子を勉強しました。私は先生が話していることを少しでも聞き取ろうとしっかり目を見て聞いていたら、少しだけ聞き取れるところがあって、その時はとても嬉しかったです。その後も動物園に行ったりキーホルダー作りをしたりして、とても充実した時間を過ごせたと思います。そして家に帰ってきてELEFANORとパーティーのためにブラウニーを作りました。ELEFANORは私に作り方をとても分かりやすく教えてくれて、とても嬉しかったです。そして作り終わった後みんなでゲームをしたり、外でトランポリンをしました。私は遊びながらどんどんみんなと打ち解け合っているようでとても嬉しかったです。そしてウェルカムパーティーはみんなの前で自己紹介と家族の紹介をする時は緊張しましたが、なんとか言うことができました。アメリカの家庭料理もたくさん食べることができたので、よかったです。

Tracy 活動レポート 03月27日 【写真】
 朝の気温は摂氏6度だった。私のホストファザーによると、昨日の最高気温は11度だったそうだ。外は少し風があり余計寒く感じた。朝7時半にシュンスケくんが私のホストファミリーの家にやって来た。彼のホストマザーは毎日、彼をここに送ってから真っ直ぐ仕事に行くようだ。そして私のホストマザーと一緒に学校に行くようになっている。彼に日本語でよく寝れたかを尋ねると、英語で「Yeah」との返事が返ってきた。既に反射的に英語が出ていたのに驚かされたが、本人はよりびっくりしていた様だった。集合場所では日本語が話せる友達との半日振りの再会。お互い英語だけの世界から生還したような喜びをもって、みんなよく話していた。「言葉が通じるって素晴らしいですね」と笑顔で言ってた男子生徒もいて、面白かった。みんなの日記を集めていると、「はい、どうぞ」という意味の英語「Here you are.」で声をかけてくれたフタバさん。その他にも英語モードになっている生徒は多かった。昨日の夜に眠れなかったという生徒はいないみたいで安心した。夕方6時には寝てしまったという生徒もいれば、ホストファミリーと出かけて家には夜の8時頃に着いた生徒もいた。なかには夜中の3時に目が覚めたけどちゃんと眠りについて、しっかり睡眠が補えたと話してくれた生徒もいた。

今日は現地の学校の生徒も歴史の授業で訪れるというMickee's Grove Historical Societyに行った。150年前に建てられた学校の校舎で生徒達も同じように算数や国語(英語)の読み書き、音楽、道徳の授業を教えてもらった。みんなが座った机、椅子は100年以上も前に作られたらしく、当時は一人一人の机に小さな黒板とチョーク、黒板消しの代わりに小さな布が置いてあって、みんなもそれを使った。私達の先生として今日授業を教えてくださったMistress Medfordは100年前の時代の服装で説明をされた。当時の授業の内容や、当時使っていた学校用品など、詳しくゆっくりそして丁寧に教えてくださった。生徒達にも実際国語や算数、音楽を教えてくださり、みんなも緊張がほぐれてきたら元気よくなってきた。レディーファーストのことも教えてもらい、男子は紳士的なマナーを習った。昨日空港で私がスーツケース以外の荷物を持っていたら、リュウキ君が「持ちましょうか」と言って手伝ってくれたのだが、今日の授業を聞きながら既にジェントルマンな生徒がいたことを思い出した。教室の外に出て水を井戸に取りに行き、当時の方法も見せてもらった。男子生徒のなかには実際にポンプを押してその大変さを体感した人もいた。ポンプを押し始めて36回目ぐらいでやっと水が上がってきたが、その頃にはセイジ君とケイスケ君はかなり疲れた様子だった。その後生徒は室内に戻り、次はJackさんが本物の皮の上に文字や絵を押す方法を教えてくれて、生徒はそれぞれのキーホルダーを作った。

そこでやっとランチ。コーンフレークやトーストだけの朝ご飯だったからだろう、みんなかなりおなかが減っていたようだ。ここで日本の親が作ってくれるお弁当みたいなのが出てきたら本当に空腹が満たされただろうが、ここではサンドウィッチやクラッカー。色が濃いジュースにリンゴやオレンジが皮のまま出てくる。みんなおいしそうに食べていたが、おいしいというより珍しいという気持ちが大きかったのかもしれない。お互いのランチを見せ合いっこしながら話が盛り上がっていたようだ。ツヨシ君は口に合わないお菓子がランチに入っていたみたいで、それを他の人に「おいしいよ」と言って食べさせて、そのリアクションを楽しんでいた。TCのミシェル先生にも「This is good. You try」など笑顔で話しかけ、周りの男の子と一緒に盛り上がっていた。午後は敷地内にあるZooに行き、生徒達はたくさん写真を撮っているようだった。生徒のなかには積極的にTCの先生に話しかけている人もいたのでとても嬉しく思った。是非、ただ時間を過ごすのではなく、自分から他の人に話しかけたりして英語を話す、聞く機会をどんどん自ら増やしていって欲しいと思う。

学校の後は一度みんな家に帰り、6時からウェルカムパーティー。ホストファミリーがそれぞれサラダや惣菜を作ってきてくださり(メインはホットドッグ)それをみんなでいただいた。生徒達の歓迎パーティということで、まず私達日本人に先におかずを取るように勧めてくださり、いろんな種類の食べ物の中からかなり悩みながらみんな取り分けていた。ハルナさんとアカネさんは、ホストファミリーが自分達のご飯を取りに行くまで食べるのを待ってから、みんなで一緒に食べていた。それぞれのホストファミリーと座ってご飯を食べていたみんな。英和と和英の辞書をお互いに使いながら話しをしている生徒もいれば、まだちょっと緊張して自分から話そうとしていない生徒もいた。週末はしっかり二日間家族と過ごすのだから、きっと仲良くなって話も弾むようになるだろう。食後に生徒は一人一人みんなの前で自己紹介をし、また自分のホストファミリーの紹介もした。ミカさんとリサさんのホストファザーからは、みんなプレゼントをもらった。彼は小学校で麻薬に手を出すとどういうことになるかの話をする仕事をされているらしい。そのプログラムのバッグとピンをもらった。バッグにはD.A.R.E.(Drug Abuse Resistance Education 麻薬乱用反対運動)と書いてあった。ミカさんとリサさんの家族とパーティーの時に話をしていたら、昨日はホストブラザーやホストシスターと一緒にラグビーをしたことを聞いた。2人の生徒も初めてプレーしたらしくとても楽しかったと話していた。他にも既に折り紙を教えてあげた人や日本の紹介、家族の写真を見せたりと初日からかなり活動的な生徒もいたみたいだ。

明日はサンフランシスコへの終日研修。今日はみんな外で寒がっていたけど、明日はもっと寒くなるとのことだった。TCの先生からしっかり防寒するように、もし上着を着ても寒そうだったらホストファミリーから借りるようにと連絡があった。今のところ天気予報では明日は晴れだとデブラ先生が言っていた。カリフォルニアの中でも有名なサンフランシスコでの一日。鋭い観察力をもって、有名な建物や橋を写真に撮るだけではなく、TCの先生や現地の人との会話も楽しんで欲しいと願う。

生徒の日記から
とーても長い一日でした。起きてる時間が長いから心配だったけど、途中で寝ないで一日経ちました。空港では大分の友達もできて、別の県の人とも仲良くなりました。オリエンテーションで言われたSmile Thank you Excuse me Pleaseできたと思います。日本-アメリカ間はとても長くて疲れました。着いてからのバスの移動ではTracyからMantecaまで寝てたみたいでびっくりでした。アメリカのマクドナルドも日本とほとんど味など(大きさも)変わってなかったです。ホストファミリーのお家についてからは、ほとんどMAKENZIEと過ごしました。始めにホストマザーが「おなかすいているでしょ?」と言ってサンドウィッチを作ってくれました。外側のパン、中身(肉)、マヨネーズなど何種類もあってびっくりしました。その後は部屋で荷物チェック。2人で写真を見たり、私の持ち物を見たりして時間を過ごしました。そして折り紙で遊びました。紙風船とか箱とか、私達が日頃簡単に作っているものも、ほとんど言葉が通じないとなると大変でした。完成するとMAKENZIEはすごく喜んでホストファミリーに自慢しているのを見ると嬉しかったです。MAKENZIEのフルートも聞かせてもらったし、MAKENZIEとALISONとCOLEと日本の「ねるねるねーるね」を作ったりして、6人で楽しく過ごせた一日でした。

 

Tracy 活動レポート 03月26日 【写真】
 いよいよ出発の日が来た。ジュニア留学は成田発と名古屋発のグループに別れ、私は佐賀、長崎、大分、宮崎、関東の15人の生徒と一緒に成田から出発した。生徒達と席がちょっと離れたので、みんなが英語で機内食を注文しているところを見逃したかと思ったが、あいにく私達が座っていた列は日本人の客室乗務員の方が接待をしてくださった。みんなが英語を使うのはどうやら、サンフランシスコ空港に到着してからの入国審査になりそうだ。機内では殆どの生徒がぐっすり眠っていたようなので安心した。サンフランシスコ空港には、定刻より早めの現地時間午前10時に到着。日本時間にすると真夜中の2時。その割にはみんな元気だ。これが若さというものなのだろうか。空港に着きこれからの流れを説明。生徒達はひとりずつ英語での入国審査を受け、滞在目的や期間を尋ねられる。そこでダイキくんが一言、「英語分からんやったら、日本語で答えてもいいですよね?」さすがに日本語で答えても係りの人は理解してくれないだろうが、このような「なんとかなるかな」という楽観的な考え方はホームステイには大切なのかもしれない。みんな順調に入国審査が終わり、スーツケースは手分けしてターンテーブルからおろした。

税関用の書類を係りの人に手渡して、いよいよ出口に近づく。女子の中には「緊張する」と口にする生徒がいたが、男子に尋ねてみると落ち着きはらっていた。出口を出ると現地の先生(TC)のデブラさん、コーリーンさん、ミシェルさんが笑顔で待ってくれていた。そして早めに到着した、鹿児島、宮崎からの18人の参加者も長旅の疲れを少々見せながらも待っていた。人数確認後にすぐ貸し切りバスへと移動。とても気さくそうなエディーさんという運転手の方が、重さ異なるスーツケースを全て積んでくださり、生徒達はバスに乗り込んだ。バスの中には「WELCOME」と窓に挨拶が書いてあり、生徒一人一人の名前を書いた紙も窓に貼ってあった。もう一度人数確認をし、いざTRACYへと向かう。途中マクドナルドで昼食だったが、TCの先生がみんなの分を注文してプレゼントしてくださった。その他お菓子とジュースも一人ずつ袋に用意してくださり、それを食べながらTCの先生の話を聞いた。内容はこれからの生活のことやスケジュール、必ず携帯すべきIDカードのことなどの説明だった。このカードには生徒のホストファミリー、TCの先生一人一人の電話番号が書いてあり、もし迷子になったらそのカードを周りの人に見せて助けを求める時に役立つものだ。名古屋、成田両方の飛行機も定刻より早くアメリカに到着したため、予定よりかなり早くホームステイ地に着きそうだった。そこで1時間ぐらいどこか違うところに行こうとTCの先生から提案がある。多数決の結果(1対32)公園ではなくショッピングモールに行くことになった。集合場所と時間を確認した後それぞれグループで行動。生徒の中にはついさっきまでバスの中で睡魔と闘ってたためボーっとしている人もいれば、元気に歩きだす人もいた。モールのベンチに座って足を休めていたアオイ、ユイ、リナさんのところにフレンドリーな同年代のアメリカ人が近づいてきて、「コンニチーワー」それから「How are you?とは日本語で何と言うの?」から始まり質問攻め。日本の3人も負けずに一生懸命説明に励む。

モールでの1時間が終わりいよいよホストファミリーと対面。まずはトレーシーの町に住んでいるホストファミリーが向かえに来てくれたが、なにより予定より2時間ほど私達の到着が早かったため、TCの人が前もって時間変更の電話をしたけど、まだ仕事中だったり、すぐ来ても15分後など、バラバラでの対面となった。その次はホストファミリーが隣町のマンティカに住んでいるみんなと一緒に、その隣町へ移動。ここでも時間変更のためみんな一斉の対面にはならなかった。みんな緊張しつつも自分の家族と会うと笑顔で、会話をしようと頑張っていた。これから家にそれぞれ帰るが、是非辞書を片手にジェスチャーを活用しながら、会話の楽しさを実感して過ごして欲しいと思う。


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