〜ホームステイの理念〜

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 筆 者 濱 田 純 逸

 
     
 

1.教育の一環として

南日本カルチャーセンターが、九州の各県地方新聞社と共催し、各県・市教育委員会などの後援を得て、実施いたしております「アカデミック ホームステイ プログラム」も、昭和49年(1974年)に始まって以来、早いもので30年になります。このプログラムは、小学生、中学生、高校生、大学生を対象として、アメリカの一般家庭に一ヶ月滞在し、学校に通いながら英語を学ぶと共に、家族の一員として、また、土地の住民として生活するというものであります。(小学生が参加対象となったのは、2002年度のプログラムからです。)発足当初「果たして何人の生徒が参加を希望するものだろうか」、また、「中学生がアメリカで、一人一ヶ月間生活できるものだろうか」という素朴な疑問や、「このような受験本位の世相の中で、ご両親は一ヶ月間の異国での夏休みの体験をどのように考えるだろうか」、また、「学校の先生方は、このプログラムをどのようにとらえるだろうか」という保護者や教育者側の立場も考えました。さらに、主催者側には「このプログラムにどれだけの意義や効果があるのだろうか」という自家撞着も存在いたしました。この葛藤は、あくまでもこのプログラムを、「教育」の一環として捕えなければならないと考える、新聞社と私共、南日本カルチャーセンターにとっては、はかりしれない程の大問題であり、回避する事のできない障壁でありました。でもそれは、考えれば考えるほどに難解で、複雑で、困難なテーマであり、ほとんど予測ができないという状況だったのです。といいますのが、現在でこそ、数多くの国際交流プログラムが開発され、多くの児童、生徒、学生たちにとっては、これらは珍しいものではありませんが、30年前はこのようなプログラムはほとんど皆無でしたから、プログラムに関するデータが全く存在しなかった訳です。また、その時点で、大学生や高校生を対象としたプログラムは、ほとんどが個人の語学留学や高校留学といった英語力の向上を目的とするような内容のもので、今流行りの異文化学習を目的とした組織だった国際交流プログラムはほとんどありませんでした。そしてさらに、中学生を対象としたプログラムなどは、日本全国どこを探しても無かったわけですから、どれだけの意義や効果があるかと考えてみても、全く雲をつかむような話しで、社内での論議も観念論に終始せざるを得ないといったような実状でした。しかし、そのような状況の中でも、常に大命題として私共の念頭にあったものは、「人問形成の中の教育の一環として」と言う事でありました。

暗中模索の中で第一回のプログラムがスタートいたしましたのは、昭和四十九年で、九州では鹿児島県内だけで募集されました。ところが、新聞紙上の社告に掲載されて以来、その反響は目ざましく、最終的な参加者は157名という大変な数にのぼり、予想だにしなかったその数の大きさに驚愕すると同時に、その使命の重大さに慄然とするばかりでした。この時、日本全国からの参加者は526名、そのうち、鹿児島県だけで157名、すなわち約三分の一を占めていたわけです。普通、旅行会社が海外旅行を企画する場合、20人から30人の参加があれぱ大成功という事ですから、いかにこの数字か驚異的なものであったか、おわかりいただけると思います。私共が驚きましたのは、その数もさる事ながら、もう一つの注目すべき傾向が内在していたということです。それは、参加者における中学生の割合でした。その内訳は、中字生、127名、高校生、17名、大学生13名であり、この中学生、127名という数字は、日本全国から参加した中学生の約半分近くにあたります。すなわち、中学生の参加者の半数は、鹿児島県の生徒で占められていたという事です。これは大変な事実でありました。いかに、明治の頃から進取の気風に富んだお国柄とはいえ、他県と比較して、県民所得の低い鹿児島県でのこの現象は、明治維新当時の薩摩藩のように「教育にかける情熱の現われ」としか理解できませんでした。(この事に関しては第三項で詳しく述べますが。)そしてまた、「鉄は熱いうちにうて」の言葉通り、中学生の参加を望んでいた私共の方針に見事、呼応して、その意を強くしたものでした。以後、徐々に九州各県で、このプログラムは取り入れられ、2002年度の第29回プログラムまでの参加者は、別表Aの通り、一万名を越す数となりました。さらに、参加者学校数も鹿児島県308校、宮崎県171校、沖縄県150校、熊本県216校、大分県151校、佐賀県101校、長崎県で92校、福岡県65校、その他の県で48校、合計1300校を超え、2002年度からは参加対象者に小学生も加えられました。引率していただきました先生方も、既に500名を超えており、地域的なものであったものが拡大に拡大を重ね、現在でも大きな広がりを見せております。さらに、このプログラムを核にした「クリスマスホームステイ」「わんぱく留学」「ジュニア留学」「還暦ホームステイ」「米国公立高校交換留学」などの様々なプログラムが開発され、現在でも進化しております。

また、各県で弁論大会や暗唱大会が実施され、最優秀賞を招待する制度や新聞配達生の招待など、無償で参加できる制度ができ、既に100名以上がこれらによって招待されており、このことも大変喜ばしい限りだと思います。さらには、地方自治体の海外派遣事業による助成金制度も大きな広がりを見せ、数多くの参加者がこれらの恩恵を受けております。ここに紙上を拝借いたしまして、このプログラムに協力してくださいました、各県中学校、高校、大学の先生方、また教育委員会の皆様方、地方自治体の関係者の皆様方、そして、保護者の皆様方に心より、お礼申し上げる次第です。

 

 
     

2.ホームステイの特殊性

現在、日本から海外への出国者数は年間で約2千万人にもなろうとしております。その内容も多種多様です。個人旅行あり、団体旅行あり、短期型や長期滞在型、観光旅行や研修旅行、ホームステイなど、それらを内容別に見ると大きく二つに分けることが出来ます。すなわち、観光を目的としたものと研修を目的としたものです。もちろん、研修を目的としたものは、普通は旅行とは言わず、留学という言葉を使いますが、毎年、毎年、その目的が多様化しており、単純に「観光」「研修」と線引きをするのが難しくなってきております。特に、若い世代が海外に多く行くようになって、観光と研修の両方を合体させたような内容が横行し始め、今はその垣根を見つけるのは不可能です。

そのような背景を、滞在方法による変遷によって、また分析することが出来ます。当然のことながら、海外旅行の当初の滞在先は、圧倒的に「ホテル」です。この滞在方法が現在でも圧倒的主流なのですが、先述しましたように、観光と研修という異なる目的が共生し始めて、「ホテル」から「大学寮」「コンドミニアム」「アパート」などへの滞在方法へと変化していき始めました。つまり、短期滞在型から長期滞在型への滞在方法へと変わっていったのです。そこまでは、まだ整然とした状態で変化していきましたが、そこに「ホームステイ」という新たな滞在方法が、大衆化し始めた時に、ことは予期せぬ思いもつかぬ方向へと旋回し始めました。つまり、ホームステイという個人の家庭の中に、見ず知らずの人間が土足で入っていき、そこに滞在するという非常識な方法が人気を博し、それが商品化されたことによって、大きな問題が内包されたまま現実だけが先行するという状況にあります。

もともと、ホームステイという滞在方法は、民間のボランティア活動を起点として生まれたものです。それが商品化され、多売されるようになると、ホストファミリーはボランティアであったものが、下宿業や民宿というビジネスに近いものへと転化していきました。つまり、ホストファミリーのホテル化です。同じホームステイでも、ホストファミリーが報酬を得ているのか、ボランティアであるのかという違いは、雲泥の差です。何故なら、目的が異なるからです。報酬を得てホストするホストファミリーの目的は、お金であり、報酬を得ずしてホストするファミリーの目的は、お金以外のものです。言い換えれば、当初、ボランティアで家庭に異文化を持つ外国人を受け入れられたホストファミリーの方々の目的は、完全なる国際交流でした。ところが、そのようなボランティアでお世話するホストファミリーの数と、ホームステイに参加する参加者の数に、大きな差が発生し始めたとき、プログラムの主催者は不足するホストファミリーの数を、家庭を外国人に開放して、その一室を提供するビジネスとして補填するようになり始めました。これらの結果、ホームステイという国際交流のための滞在方法であったものすら、観光という巨大な産業に飲み込まれつつあるのが現状です。現在でもホストファミリーは、ボランティアの方と報酬を得る方に分かれますが、一般論としては、ボランティアの方は研修や国際交流が中心、報酬を得るホストファミリーの方は、ビジネスと理解するのが妥当でしょう。

この「ホームステイ」は、かなり特殊な性格を持っております。まず第一に、現実的には旅行の側面を持ちながら、人間の生活の基盤である「衣食住」のうち、その二つ、つまり「食住」が、日常の生活と余り異ならない、という側面を持っているという事です。「ホストファミリー」という他人の家庭の中に入り、そこの家族同様に過ごすわけですから、ホテルを転々として旅行するのとは、全く内容が異なります。旅とは、「自宅を離れてある期間、ほかの土地で暮すこと」という辞書の説明からすれば「ホストファミリー」という家族を持ち、自分の家があるホームステイは旅ではないという事になります。いずれにせよ、ホームステイの場合、「狭く、深い」土地や人間との関係を築くのが可能という事になります。第二に、目的が純粋に「研修」でもなければ「観光」でもなく、一定の住居に住み、住人として生活する事自体にも、目的が存在するという事です。すなわち、旅行者としての生活ではなく、「住人という意識での生活」が目的の一つであるという事です。第三に、目的がその国を外面的だけではなく、内面的にも理解するためのものであるという事です。つまり、異質の文化、習慣、風俗、また価値観を体験的に実感し、理解する事にあります。以上のように、ホームステイの特質は、観光的な旅行者ではなく、住人という意識の中で、その土地の生活を実感するというところにあるわけです。そのような環境で生活できるところが、一般的な旅行に飽きた、多くの日本人の心を捉えたのかもしれません。

 

3.何故、行かすのか・・・保護者の視点

 

別表A

中学生

高校生

大学生

合計

岡県

46

53

67

166

長崎県

121

98

35

254

佐賀県

543

166

45

754

大分県

625

327

43

995

熊本県

1609

810

98

2517

宮崎県

1669

337

88

2094

鹿児島県

3369

1268

224

4861

沖縄県

584

709

109

1402

合 計

8566

3768

709

13043

別表Aをご覧ください。これは過去30年間の参加者を県別、そして世代別に表にしたものです。ご覧の通り、中学生の参加者は、全体の65%、高校生が35%、大学生にいたっては全体の5%しかありません。第一項で指摘した通り、九州のほとんどの県において、中学生の参加が中心となっております。唯一福岡県において、中学生より高校生、高校生より大学生の参加者が多いという他県とは異なる現象が見られますが、全体からすると福岡県の参加者数は極めて少なく、データとして判断するには未だ不充分な数字だと思われます。この表を全体的に見れば、圧倒的に中学生の参加が多く、「何故、中学生の参加が多いのか、そして、何のために保護者は行かせるのか。」という二つの疑問を禁じえません。中学生の参加となると、その経済的な援助は、ほとんどの人が保護者に頼っているのは当然です。ですから、保護者が参加を了承する原因は、何だろうかという疑問が残ります。まさか、お金があり余っているからというわけでもないはずです。

 

別表B

'84 '86 '88 '90 '92 '94 '96 '98 '00

'02

平均
公務員 18.7 18.3 15.2 20.4 20.1 17.5 20.0 27.0 26.2 22.0 19.8
教員 17.3 16.5 13.9 12.7 13.7 8.8 8.1 5.4 7.3 7.0 12.0
会社員 17.4 24.9 27.0 24.5 25.3 31.3 35.4 30.3 25.7 38.7 27.7
商業 17.5 17.5 20.4 13.0 10.5 22.2 19.2 13.8 12.0 13.6 15.5
建設業 1.7 1.9 2.9 5.8 4.5 2.7 5.1 5.0 8.1 3.8 4.2
農業 1.4 3.3 5.0 4.3 5.7 5.6 3.9 5.7 5.1 4.5 4.1
医者 6.6 3.1 4.8 4.5 4.1 1.0 2.9 2.2 2.9 2.8 3.0
会社役員 12.3 9.9 5.7 9.0 12.8 3.5 3.5 5.2 3.4 1.7 7.6
その他 7.1 4.6 5.1 5.8 3.3 7.4 1.9 5.4 9.3 5.9 5.2

 別表Bをご覧ください。これは、過去20年の参加者の保護者の職業を表にしたものです。既におわかりだと思いますが、金銭的に裕福な家庭と思われる保護者ばかりではなく、あらゆる職業層にわたっております。また、教員を公務員として数えるなら、全体の三分の一は公務員の方々であるという事になります。さらに、「公務員」「教員」「会社員」のいわゆるサラリーマンを保護者に持つ参加者が、平均で約60%にものぼります。一般的にサラリーマンや公務員や会社員の家庭を中流階級と見なす風潮の中で、このプログラムは、裕福さとは関係のないところで、考えられていると言っていいようです。それでは、何故、いわゆる「一般的」な家庭の方々が、子供のために高い費用を払って、参加をさせているのか。この表の教員の欄をご覧ください。職業層の絶対数を考えるなら、医者もそうですが、教員の割合がいかに大きいかご理解いただけると思います。これまでの参加者総数は13043名で、そのうち、教員を両親に持つ生徒がなんと1565名、すなわち、百名中約12名は、保護者が先生だったという事になるわけです。第一項でもふれましたように、私共は、このプログラムを「教育の一環として」考えております。この理念は、当初からのものであり、絶対的なものであります。この方針が、先生方からも同様に受けいれられている事は、無上の喜びです。事実、これまで多くの参加希望者の方々から、いろいろなご相談をお聞きいたしましたが、保護者の関心の的は、「英語の成績が云々」という事では決してなく、「どのように子供の成長につながるのか。」という事につきるようです。なかには、「成長が云々」というものでもなく、「ただ、海外の大きさを見せたい。」という保護者の方もかなりいらっしゃいますが、究極のところは、「スケールの大きな子にさせたい。」「国際感覚を身に付けさせたい。」というのが、保護者の子供を参加させる理由の圧倒的多数を占めているようです。そのような、「人格形成のための手段」として、このプログラムが考えられているところに、「中学生での参加」という現象の原因が存在しているように思われます。そこで、次の項では、中学生の参加をセンターはどのように分析しているのかを説明してみたいと思います。

 

.中学生の場合

中学生が、異文化の家庭にホームステイする際に、高校生、大学生とは異なり、中学生であるがゆえに無条件に保有している理想的な特質を、三つ掲げる事ができます。すなわち一つは「環境に対する順応性」であり、二つ目は「無知・無恥であること」であり、三つ目は「可塑性に富む」ということであります。もちろん、これらのことは何も中学生に限らず、小学校高学年や高校生にも当てはまることでしょうが、人格形成上、中学時代は大切な時期であります。中学時代の様々な体験はその形成に多大な影響を与えます。それだからこそ、この異文化体験プログラムに中学生で参加することの特質を分析しておく義務が、主催者にはあると考えております。

(イ)環境に対する順応性

当然のことながら、ホームステイの参加者は、まず、家族の一員になりきらなければなりません。しかしながら、その順応性は、中学生と高校生、高校生と大学生においては、歴然とした相違が見られます。中学生の場合、一両日もあれば彼らはその家庭の一員として、言葉以外は何の不自由も感じることなく、異文化の生活に溶け込み、ホストファミリーとの人間関係も、まるで本当の家族のようにふるまう様になります。ところが高校生にもなると個人差はありますが、約一週間前後、大学生ともなると十日から二週間、なかには一ヶ月のホームステイの間、ホストファミリーの前ではほとんどリラックスできなかったという学生さえおります。欧米文化は、特に肌でふれあう文化ですから、ホームステイする場合にも、家族の一員としてふるまうことが大いに求められるものです。ホストファミリーの目的は、参加者を通してその国を知りたいということにあり、そして参加者の目的は、家族の一員として生活し、その国の文化や価値を実感することである以上、言葉で理解しあえるかどうかということより、相互に心を開いて、どれだけ親密に生活できるかということに、ホームステイの意義があります。

異質の習慣、文化、生活様式の中で、さらに、一ヶ月間も他人の家庭で生活するのは、年をとればとる程に窮屈なものです。その証拠に、例えば保護者の方がホームステイを一ヶ月間することを想像されてみたらいかがでしょうか。おそらく、誰一人としてそのような環境で一ヶ月間もホームステイすることに抵抗を感じない方はいないはずです。中には、たとえお金をもらったとしても、そんなことはごめんだという方もいらっしゃいます。そのような気持ちを大人達が持つのは何故か。それは、他人の家庭での生活は、自由が無く窮屈であり、しかも、それが外国の異言語下の異文化の生活ならば、なお一層困難と忍耐を伴うと思うからです。そしてその理由は、大人であるがゆえに、それぞれの長い人生経験と学習の結果、既成の価値観があり、固定観念が宿り、慣れ親しんだ方法があり、それらの既存のものが、それぞれの人生において機能しており、何の不自由もしない現在があるからです。ですから、それ以外の、異質の、異なる方法による、異文化の価値や現実に興味がない限り、そのようなものをわざわざ体験することが苦痛であったりするのもうなづけます。だから、こんな年齢になって、そんな環境で一ヶ月間も生活するのは、地獄のようなものだと思うのが、一般的な保護者の年齢の反応でしょう。二十歳を超えた大学生が、保護者同様の思いを感じるとまではいかなくても、それに近い窮屈さを感じるのかもしれません。大学生が家族の一員としてリラックスできるまでに、時間がかかるということはこれらのことと密接に呼応しているように思えます。

でも、年齢が若ければ、そのような理解の仕方にはなりません。異なることが大人には窮屈と思える生活でも、異なることが中学生には興味と好奇心でしかないという皮肉な面があります。そして、若いがゆえに、価値観も固定的ではなく、柔軟性があり、異文化にも好意的な姿勢で臨むことが出来るわけです。また、逆に、異国の文化を学ぶためには、その生活に適応してしまうのが最良の手段でもあるわけですから、適応できない大人には地獄であっても、適応できる若者には天国ともなりうる、興味の尽きないものでもあるわけです。すなわち、適応力、順応力のあるかないかは、そこの文化を吸収しやすいか、しにくいかの問題にもなるわけです。この点においても、年令が若ければ若い程、異国での生活による教育的効果は、大きいと言わねばなりません。何故なら、異なる価値を体験するということは、異なる価値の存在を知るわけであり、異なる方法を知ることであり、そこに相対性が生まれ、更なる創意と向上の中に、視野の広い、広大な人生観が醸成されるからです。

(ロ)無知・無恥であること

次に、日本人の内気であることはその国民性のひとつとしてよく知られた事です。それは「和をもってとうとしとなす」とする日本人の集団感、組織感も背景にあるでしょうし、農耕民族は生産することで生きてきており、天に支配され、生かされているという認識が、それらの特質と密接に関係しているのでしょう。そしてまた、島国という私達を取り巻く生活環境は、異文化を持つ民族と接触する機会を失わせ、先の国民性も手伝って、特に外国人に対しては極度に意識過剰となります。そのため、その機会に遭遇しても、潜在的に彼らとの接触を極力回避しようとする行動が非常に多く見られます。そこには内気な国民性と異民族に不慣れな対人観と、もう一つ「恥」を行動様式の核とする価値観が影響しているように思えます。すなわち、ルーズ・ベネディクトの指摘する「恥の概念」が特に大きな障壁となって、外国人と接触する機会に遭遇しても、それを活かす事ができずに終わってしまうのではないかと思うのです。

よく彼らは、その最大の理由が「語学力の不足」によるためだと自己防衛し、合理化し、納得しようとしますが、決してそうではなく、それが「恥をかきたくない」という内面的意識の崇高さから来ると気が付いていても、思いたくもないのであります。その証拠に多くの日本人は、言語による会話そのものを拒否する傾向があるのであり、その言語は母国語である日本語と相手言語という二つの選択肢があり、当然、日本語による会話もその選択肢の一つであることを考えれば、「語学力の不足」という理由は起こりようもなく、異文化を持つ外国人との接触自体を回避する、何らかの別の理由があると推断できるわけです。そしてそれが「恥」の意識ではないかと推測するわけです。

ところが、この恥の概念は、大人と子供においては異なります。なぜなら、恥の概念は、日本の特異な環境の中でしつけられる、後天的な知性であり、生来のものではないからです。それは、幼児から大人への課程の中で、日本の生活環境と日本人の価値観の中で、自ずから培われていくものです。ですから、換言するならば、幼児になればなる程、「恥」という概念は希薄であるとも予測できます。同時に、概して、幼児程無恥であり、無知であるからこそ、向上の課程では、何ら障壁となることはないと結論できます。

私共がホームステイプログラムの現場で、特に痛感した事の中に、概して、大学生、高校生グループと中学生グループのコミュニケーション能力には、歴然とした差は見られないということでした。確かに英語力や英語の語いの豊富さにおいては、かなりの差は見られますが、むしろ大学生、高校生グループに存在する大きなハンディに気づきました。すなわち、一通りの「英語を習った者」であるという自覚と、自我の確立された、もしくはその過渡期にある彼らの「自意識」が、「恥」という概念で再醸成し、「誤り」をおそれているように見えるのです。すなわち、英語を既にある程度学習しているがゆえに、「正確な英語を話さねばならない。」という命令を生み出すとともに、間違ってはならないという「自尊心」と「恥の概念」が、結局は自由な会話を楽しむための大きな壁となるのでした。その点、中学三年生より中学二年生、中学二年生より中学一年生というように、若くなればなるほど、つまり、英語を学習している時間が少なければ少ないほど、英語を知らなければ知らないほど、無知と無恥が相互しあって、彼らが持っているあらゆる知識をしぼり出して、彼らは表現しようと、コミュニケーションをとろうと試みるのでした。すなわち、文型も、文法もなく、時には単語さえもなく、身ぶり手ぶりだけで自己を表現しようと躍起になります。このコミュニケーションしなければ生活できないという、ホームステイの持つ異文化での環境は、大袈裟に言えば一種の極限状態でしょうし、この環境の中で体裁のない自己を表現しようと試みる姿勢が、大変大事なものとなるわけです。外国人と接触する機会の少ない日本人には、この姿勢が非常に大切な事だと思われます。そして、これがコミュニケーション能力の原点だろうと思われます。そして、このコミュニケーション能力の原点に最も近い条件と環境を持っているのが、中学生のような若い世代だろうと思います。

(ハ)可塑性について---豊富な情報量を---

一ヶ月間のホームステイの後に行なわれる「帰国報告会」の中で、生徒達のアンケートに最も多いのは「再度、海外に必ずTRYしたい。」ということです。これはほとんど全員の参加者がそのように返答いたします。そして、それは単なる夢だけに終わってはいないのです。第一回プログラムに中学二年生で参加した生徒が、今年(2003年)で44歳になるわけですが、これまでの参加者13000名余りのうち、センターの知りうる範囲内でも1000名を超える方々が、その後、何らかの形で渡米いたしております。また現在、中学、高校在学中の過去5年間の参加者の中に、海外留学を目ざしている人も相当数おりますし、将来は英語を活かした職業につきたいと考えている参加者も非常に多いという現状があります。決して海外への雄飛や、留学という現象を鼓舞しようとは思いませんが、そこにはホームステイによって触発されたものを発見することができます。

例えば、私共のような大人たちが一ヶ月外国で生活したからといって、海外で働きたいとか、将来は国際的な仕事をしたいとか決して思いませんし、旅行でまた行きたいなあと思うぐらいが関の山です。それは確かに、大人たちの方が少なくとも子供達より現実的で、生活の厳しさや、緊張感をひしひしと感じているからだとは思います、しかし、それだけではありません。大人としての宿命が遠因となっているようにも思われます。つまり、人間は自我の確立の中で、あらゆる「情報」の中から自分自身の中に固定的な価値観を模索し、常識を鑑に判断基準を定め、そして画一的思考経路を無意識の中に構築してしまいます。それは大人への道程なのですが、同時に、それら体系的価値基準の確立は、思索の硬化と価値の凍結に連結しております。すなわち、それらが確立された時点で、新鮮な情報への拒否が始まりますし、確立された自分自身の場所への怠惰な安住が始まり、硬直した価値体系には、新鮮な情報による思考も、多角的な視点も、緩慢な価値の変化にも対応することなく、ただ内部崩壊を拒絶しようとする防衛本能だけが見られるわけです。それが大人の宿命と言わねばなりません。

その点、自我確立以前の中学生は、非常に可塑性に富んでおります。すなわち、右から引けば右に動くし、左から引けば左に動きます、与えればいくらでも吸収するし、与えなければ何も吸収しません。キリシャ神話において、大地創造の初めは、「混沌(カオス)」であったといいます。すなわち、あらゆる形のあるもの、ないもの、何も存在せず、どろどろとした区別のないもろもろの状態です、ここから「光」が生まれ、「夜」が生まれ、そして、あらゆるものが形を持ち、概念が生まれたわけですが、中学生の内面的構造は、この状態に非常に酪似していると考えます。この自我の確立以前、すなわち可塑性に富む時代に、多くの情報と経験を提供すべきだとが何においても大事なことだと思います。(注、もちろん、それらには選択も必要でしょうし、その後の指導が最も肝要な事ではありますが、それ以前の問題として)彼らはいくらでも学習し、吸収いたします。そしてあらゆる異質の文化、生活様式、言語、風景、風俗、価値観、思考方法の相違など、新鮮で、興味深く、印象的で、魅力的で、何も拒否されることなく経験によって学習し、多角的な情報の収集を基調として、単一文化下では体験できない価値を吸収することとなります。そしてこの可塑性に富む時代での多角的な情報と経験による学習が、保護者の方々の願望である「スケールの大きな国際人」への一過程となるわけです。

5.何のために

これまで各項で断片的にふれてきましたが、わずか数週間から一ヶ月間程度のホームステイの中で、参加者がいったい何を得るのかという問題について、考えてみる余地があるようです。そうでなければこれだけ多くの参加者を取り扱っているセンターとして、はなはだ無責任な話ですし、センター、つまり主催者の意図と保護者の認識には齟齬があるかもしれませんし、センターがこの事業を「教育の一環として」実施している姿勢も不毛と言わざるを得なくなります。でも、逆に言えば、このことを説明してしまえば一つの断定が生れ、誤解を招きかねないことでもあります。だからこそ、これだけ多くの国際交流プログラムを実施する主催者があるにもかかわらず、旅行会社を始めとするどの団体にしても、この「何のためにプログラムは存在するのか」という問題に対して、言及しているところは皆無なのでしょう。その禁断を敢えて犯してまでも、説明する以上は誤解のないように、注意深く本章をご覧いただきたいと思います。

特に保護者の方々としましては、短期間と言えども異文化生活体験の中に、何らかの成果を帰国後の子供に発見して、初めて意義があったというもので、もし仮に、何らかの成果がなければ、わさわざ、海外に子供を遊びに行かせたということになってしまいます。ただ子供が行きたいから行かせるという保護者もいらっしゃるとは思いますが、ほとんどの保護者が、それぞれあらゆる目的意識と思惑を持って、子供達を参加させていらっしることだろうと思います。この目的意識を持つことは非常に重要なことではありますが、早急にその成果を求める事は無理です。特に参加者の人格的成長に関連する成果が一般的に指摘されていることのようですから、帰国直後に、目に見えてその傾向が見られるようなものではありません。

はなはだ失礼で、無責任な言い方ではありますが、短期間の異文化生活を通して得られる「直接的な成果」というものは、それほど多くのものがあるわけではありません。なぜなら、短い期間内で得られる「成果」には、当然のことながら時間的制限からなる限界があるからです。例えば、英語に関することがそうだろうと思います。短期間で当然英語力が身につくわけでもなく、異文化学習がどれだけ短期間で成し遂げられるかも、大きな疑問です。確かに、英語のヒアリング力については、参加者が若いだけあって慣れによる相当な向上は期待できます。また、「国際感覚の育成」「国際的視野の涵養」などを目的として参加される場合などが非常に多いのが現状ですが、ただ漫然と参加するだけでは、それも土台無理な話です。それらの目的を達成するためには、間違いなく主催者による指導と助言が必要であり、参加者のそれなりの努力も必要です。過去10年近く、交流プログラムが盛んになるにつれ、ホームステイによる国際交流プログラムに参加すれば、そのような目的を達成できると漠然とお考えになる保護者や参加者が後を絶ちませんが、全くの誤解であり、盲信に過ぎません。(これらに関しての詳細は、ホームステイの現状と提言をお読みください。)

厳密に文言を選びながら、プログラムから得られるものを、主催者の視点で説明すれば、それは「成果」ではなく「きっかけ」であると指摘するのが適切だと思われます。少なくとも、センターの主催する短期間の国際交流プログラムでは、そう説明することが出来ると思います。相当の滞在日数と費用を費やして、参加者が得られるものは単なる「きっかけ」でしかないのです。これをお読みになる保護者の方は、この単なる「きっかけ」という指摘に、大きな驚きと不満をお感じになるかもしれません。多大の労力と多額の費用の対価が「きっかけ」では納得できないという感想をお持ちになるかもしれません。しかしながら、この単なる「きっかけ」の持つ意味は、かなり深く、重要であり、注意して理解しなければなりません。

年端もいかない参加者達が異国の生活体験の中で、見、聞き、肌で感ずるものは、はかり知れないほどの驚きと感動と動揺があります。道路の大きさに驚き、国土の広大さにびっくりし、人の心の大きさにも感銘を覚え、習慣にとまどい、異文化に不安を感じます。また、言葉が思うようにならない生活に苛立ちを覚え、異なるやり方や方法に驚きながらも、その環境に適応していく過程で驚愕の連続です。さらには、日本の家族や両親と会えない孤独感、他人の家庭にいる孤立感を感じるなど、楽しい事だけではなく、悲しい事があったり、時には寂しい思いをしたり、不満な事があったり、そのような様々なできごとを、アメリカという環境の異なる生活の中で参加者達は体験するのです。そして、日本という国以外に実在する外国の存在を実感し、そこに家族を持ち、人的ネットワークの拠点を築くことになるわけです。帰国時に、参加者の心に去来するものは「アメリカという国への親近感」であり、もう一つの家族の住む「第二の故郷」の存在であり、そして、自由に使えなかった異言語、すなわち英語を強く学びたいと感じます。

感受性の強い年代であるからこそ、このような体験が彼らの一生を左右する程の衝撃をもたらすわけです。おそらくそれは物心ついてから初めて体験する衝撃と言えるでしょう。日常性に埋もれ、日々の目先の活動に汲々とし、惰性の中に退屈なほど繰り返される慣行をまた踏襲しながらも、盲目的、他律的なその日常生活に疑問を感じ始めた、自我確立直前のこの年代の参加者には、強すぎるほどの衝撃かもしれません。先程、私が述べた「きっかけ」の起因となるのがこの「衝撃」であるのは当然のことです。生まれて初めての異文化の生活環境の中で、精神を根底から震憾させられる程の「衝撃」が、あらゆる方面への活動の原動力となる「きっかけ」を生み出すわけです。そして、この「きっかけ」は、若い参加者達の内面性や性格さえも変革させてしまうようです。

ここでは、「積極性」の問題を例にあげて述べてみましよう。帰国後、保護者の方、また、担任の先生方から最も多く聞かれる意見は、「参加者が非常に積極的になってきた。」ということであります。また、センターが実施したアンケートによってもその結果が証明されています。例えば、この現象の原因となるものは、容易に理解する事ができます。すなわち、アメリカと日本の教育やしつけに対する根本的な考え方の相違、また、大人の子供を見る眼の価値観の相違にその原因があります。

以前、引率で行かれた先生が、現地の先生に「アメリカにおける良い子とは、どのような子供ですか。」との質問に返ってきた答は、「当然ながら、自分自身で健康管理のできること。そして、積極的であり、自立していること」というものでした。これは、私自身も数多く耳にしたことがありますが、アメリカの大人たちが子供に対して考える一般的価値観のようです。それでは、同じ質問を日本の大人たちにした場合、果たしてどのような返答が返ってくるのでしょうか。「明るく元気な子」「活発でものおじしない子」「積極的ではきはきした子」など、様々な考えがそこに投影されるでしょうが、誰もがその価値を否定しないもののひとつに、「温厚で、学校の成績が優秀であること」という、いわゆる優等生タイプの子供の姿を、自然に想起してしまう現実を、我々日本の大人は否定することはできないと思います。この両国におけるイメージの相違は、ただ単なる価値観の相違として、看過することはできません。なぜなら、我々は、この「良い子」に対する理想的イメージをもってして、子供のしつけや、教育を行なおうとするからです。ですから、当然のことながら、アメリカの子供達は周囲の大人達から積極性や自立を促されながら、育つのであり、その結果、そのような人間が多くなり、それがその国の国民性と相関してくるわでです。そして同様に、日本の子供達は日本で生活する限り、特に周囲の大人達からは「成績が良いこと」という金科玉条のごとき唯一無比の価値観で見られ、教えられることを意味しております。ですから、高校生、中学生、小学生と年少化すればするほど、将来の可能性は高くなるため、成績の優秀な子供が多くなるのもうなづけることです。その反面、優秀さから脱落した子供達は、ほとんど屍のごとく、十代にして堕落することとなります。また同時に、目的を達成した優秀な大学生達は、それまでの努力の褒美として社会に出る前の休息の場を与えられ、それまでの価値から完全に解放されるため、これもまた急速に怠惰になっていくのも、自明のことかもしれません。「末は博士か大臣か」「村一番の神童」など、幼少時の優秀さを称える言葉は多くても、「二十歳過ぎればただの人」で終わる日本人の教育観はその縮図のような感じさえします。

その点、アメリカの大人たちの求める「積極性と自立」は、人としてもっと根源的なものであり、教育よりもしつけにその重点が置かれていると言えます。実際にアメリカ社会では、日常生活のいたる所において、積極性を要求いたします。すなわち意志と意思が必要であり、自己主張が求められ、主体者が自己の判断の元に、その意思を反映する行動をとらなければなりません。例えば、ひとつの飲み物を飲む時も、コーヒーを飲むか、紅茶を飲むか、コーラか、ペプシかという選択肢を、飲む者がその自由意思で決定しなければなりません。コーヒーと自分の意思を告げたとしても、矢継ぎ早に「ミルクを入れるかどうか」の判断を聞いてきます。ミルクは入らないと答えれば、次は砂糖はどうするかの質問です。これも、生活の節々に自己判断や自己主張が要求されている現象の一つに外なりません。日本における「どちらでもいい。」という答は、有りえない、不可思議な発言です。そんな生活環境の中で、参加者はホストファミリーと過ごし、「イエスかノーか」を聞かれ、意見や判断を求められ、自己主張をせざるを得ないといったような状況におちいります。そしてしばらくすると、参加者は、自ら考える事を始め、自ら判断し、自ら行動を起こすという主体性と積極性が芽生え始めます。その時、彼らの主体性や積極性を強く支持し、鼓舞する周囲の、つまりアメリカ人の賛同や声援があるため、参加者は極めて芽生え始めた自分の意思や自分という存在そのものに、自信を感じ始めるようです。そしてさらに、それが心地よく、生きている実感を感じさせてくれるものであるため、反動的に、益々、その性向を強くしていきます。

「日本人は、内気で、控えめ、恥ずかしがりやで、依頼心が強い。」と、現地の先生はアメリカ到着後の参加者を見て、すぐに彼らの特質を捕えて引率の先生に言います。言葉は理解できなくても、その行動のあり方ですぐに理解できるわけです。この「内気で、控えめ、恥ずかしがりやで、依頼心が強い」という概念は、「積極性と自立」と言う概念とは、全く逆の価値観であるわけです。つまり全く正反対の価値観を持つアメリカ人だからこそ、参加者のこれらの特徴は敏感に感じられるのだと思います。もちろん、この指摘は、参加者達だけでなく、一般的日本人の国民性と言うこともできます。それらが育まれる背景は、一言では表現できないでしょうが、日本の歴史や風土や文化が介在していることは間違いないでしょう。その中で「謙虚さ」や「謙譲」などの概念が、日本の伝統的文化の中に美徳として受け継がれ、一つの価値として脈々と息づき、そんな環境で生活している日本人の国民性が、前述のように指摘されるのも、当然と言わなければなりません。ましてや、指摘する人が、ほとんど正反対の価値観を有する環境の中で生活しているわけですから、奇異に感ずるのも推して知るべしです。参加者は、「彼らの眼」で見られ、その視点で指導されるわけですから、日本とアメリカの価値感の相違をまざまざと体験することになります。その体験が、参加者の新しい「眼」を生み出す「きっかけ」になるわけです。

ですから、例え短期間でも、日本の参加者が「積極的で、自立」を価値とする国で家庭生活をおくれば、当然のことながら、自分の中に潜在的にあるその性向が鼓舞されるのは自然なことかもしれません。参加者が積極的になったという事も、それをよしとする環境の中で生活したからという事に外なりません。

「積極性」についての例が、長くなりましたが、これに限らず、あらゆる「きっかけ」が、この太平洋をはさむ日米両国のほとんど正反対の価値観や習慣の中で醸成されていくこととなります。つまり、両国が異なる価値を有するからこそ、それを体験するものには大きな刺激や衝撃となりうるわけであり、それが「きっかけ」を生み出す源になっているわけです。そういう意味では、ホームステイの一ヶ月間を終えて日本に帰ってくることは、確かに「旅」の終わりではあるのですが、参加者にとっては、それぞれに、彼らなりに触発され、動揺し、つかんだ「きっかけ」を原点とした、すなわち、新しい認識をふまえ、新しい視野に立ち、そして迎える、新しい「人生という旅」へのスタートなのです。強いて極言するならば、ホームステイの成果は、そのスタート台への到着であり、そしてまた、その真の成果と意義は、以後の彼らの生涯の中に具現化すると確信いたします。

 

6.終わりに

最後に、第四項と第五項ので述べました「情報量」と「日米の価値観の相違」の問題について、さらに敷延して述べてみたいと思います。一般的日本人の風潮の中に、欧米人や欧米文化に対するコンプレックス、憧憬や偏重が見うけられることを私共は職業柄、大いに痛感いたします。日本における国際化とはすなわち、欧米への追従でしかないとか、西洋化であるなどの指摘があるのは、これらのことを反映しているわけです。例えば、私共の会社に、留学相談で来られる方々が、多くいらっしゃいますが、その方々に共通するのは「安易さ」と「甘美な憧憬」とそして「逃避」であります。(しかし、彼らはそれを指摘すると必ずと言っていい程、最初は否定いたします。)何故なら、彼らの希望していることは、「留学」ではなく、「欧米での生活」であることが多いからです。つまり、日本の大学を不合格になったことがきっかけで留学へ夢が膨らんだり、日本の大学を出て就職をしたものの、職場に馴染めず、自分のやりたいことは何かと考えたとき、留学であったという結論であったり、自己への可能性への挑戦と称して、それを留学に求めたりと、ほとんどが安易な夢であったり、稚拙な判断であったり、場当たり的な結論で会ったりすることが余りにも多すぎるのです。留学担当のセンター職員のわずかなカウンセリングを受けると、安易さと憧憬は、すぐに払拭されるのですが、「逃避」は自己暗示と自已陶酔がその留学志望の中枢を占めているため、それを認めようとはされません。彼らの志望動機の多くは、「外国へ行って、現在の自分自身を打開したい。」というようなものであることが多いわけですが、確かに、聞きようによっては理のある決意なのですが、「現在の自分自身」とか「打開」とかいう言葉が、あまりにも抽象的で漠然とし、目的意識すら明確ではないのであります。ですから、私共が矢つぎばやに質問をすれば、あっという間に答に窮するといったような状態です。彼らの意図は「自己打開」かもしれませんが、私共から見れば、「自己逃避」であり、そして、その意図の中には、欧米文化への憧憬と偏重が存在いたしております。何故ならば、必ずといっていいほどその目的国は、欧米だからです。世界には200近い国があるにもかかわらず、日本人が留学先として選ぶ国の90パーセント以上は欧米であるというのは、余りにも偏っているとしか言えません。

これまで各項で私はアメリカに関して述べてきましたが、決してアメリカナイズされているわけでもなければ、アメリカを絶対化しているわけでもありません。そこから何かを吸収するのなら、当然のことながら、日本と比較の中においてその国のあらゆる異質のものを学ばなければならないと考えております。前項でも若干ふれましたが、アメリカの教育観と日本の教育観においては歴然とした相違が見られます。それは、ある視点からすれば正反対の価値観を有するものだと断言できます。例えば、先述の「積極性」と「謙虚さや謙譲」の問題であります。同じ人間同士でありながら、国が違い、異質の文化を持つということで、ある意味では正反対の理念が対峙していることは、興味深いことであると同時に、国際関係の中では相互に尊重し合わなければならないことであります。これまで私は、ホームステイの価値について、各項において説明してまいりましたが、ここにその危険性についても言及しておかなければなりません。異文化を体験することの大きな落とし穴があります。

一国における理念や美徳に固執し、それを堅持することは、相互理解を拒否し、その価値観は依然としたままであり、ファシズムのようなものであり、それは自文化中心主義、もしくは、自民族中心主義といったような考え方であると説明できます。それらの視点に立てば、「日本における美徳は、あくまでもアメリカでも美徳であり、アメリカの美徳は、日本の美徳でもある。」という絶対的な考えになってしまいます。確かに、このことは否定的に理解できるのですが、それでは、「アメリカの美徳は日本においては悪徳になり得るし、日本の美徳はアメリカにおいては悪徳になり得るものだ。」と言う命題では、ぽぼ同意に近い事なのですが、若干、理解しにくくなります。この視点と立場を文化相対主義と表現できそうです。つまり、相対的に文化を考えれば、一つのことが国によって異なる価値と意味を持ってくるという趣旨の命題になり、極めて常識的な視点であり、数多くの方はこの視点を支持できるでしょう。

それでは、それが何故理解しにくくなるかという説明に入りましょう。欧米文化の中でも、特に、アメリカの文化を体験した生徒や学生にとってこの命題は一層、理解しがたいという傾向があります。なぜなら、彼らの中には、潜在的なアメリカ文化の偏重と重視が無意識に、アメリカ生活の体験という優越感と相乗しあい、日本文化の軽視が盲目的に、さらに盲信的に始まる可能性があるからです。中学生においては、判断力と見る眼の稚拙さのため、極度に警戒しなければなりません。つまり、アメリカで異文化を体験して、そこで遭遇した様々な相違を相対的に見ることが出来ずに、単なる優劣、善悪で考えてしまい、アメリカが日本以上の先進国家であるという認識を論拠として、アメリカでの体験を金科玉条のごとく自分の価値の最上級に置こうとするからです。つまり、アメリカ文化を中心にした「自文化中心主義」の視点で日本を見るということになってしまいます。彼らはホームステイにより、そのような危険性をも内包して帰国しているわけであります。

さらに、「可塑性について」の項で申し述べました「豊富な情報量」についても同様のことが言えます。私は可塑性に富む時代に多くの情報を提供することが、国際人たる視野の広さを培うものであると指摘いたしました。しかし、異国での生活における、異文化の多くの情報の吸収は、帰国の段階においては何の整理や選択や思索もなされず、許容されるだけ無秩序に受け入れられた形でなされております。それはあたかも、あらゆる分野の本を無秩序に、何らの思考もなされることなく乱読した後の状態に酷似しております。すなわち、それら情報は、時間の経過と共に忘却の彼方へ運び去られるだけでなく、最悪の場合、断片的情報の収積だけが残存し、究極的には、偏狭な見解を生み出すだけでなく、歪曲された形で事実や現実が、理解、把握される危険性が胚胎しております。既にお気づきのことと思いますが、以上のような内包する危険性を回避するため、帰国後の彼らを取りまく者の指導が大いに必要となります。「将来はアメリカに留学したい。」と彼らが口をそろえて言うのは、単なるアメリカの生活に対する憧憬に過ぎません。そこには深い思慮があるわけでもなく、明確な目的意識があるわけでもありません。また「アメリカでは云々」とか、「アメリカ人は云々」とか口にするのも、一ヶ月間で垣間見たアメリカの極めて一部分にしか過ぎません。その一部分を持ってして、一般的なアメリカに言及する姿勢も大変危険であります。これら安易な言明や判断は、アメリカに対する過信と偏重と絶対視から来ております。彼らは、アメリカに行き生活し、日本に帰って来てはいますが、そのような言動は、アメリカの中でアメリカを見、日本の中で日本を見るといったような、二つの国を全く別のものとして考え、アメリカでの生活は、日本とは全く隔絶した所に存在していて、何ら関連性はないところのものであります。我々は、あくまでも日本人であり、日本に国籍があるわけですから、アメリカの実生活から学ぶなら、アメリカを通して日本を見、日本を通してアメリカを見るといったような立場でなければなりません。それが、日米間の相対的価値感を確立するものであり、アメリカでの生活体験の実質的成果の一つでもあります。そしてそれは、保護者の方々が望む、スケールの大きな国際人たりし器の原形とも言えるでしょう。この二国間に立脚した相対的な比較からなされる思索姿勢へ導くことが、帰国後における私共を含めた彼らを取り巻く者の使命の一つであると考えております。

最後に、これまで一万名を越える小さな外交官達を引率していただきました500名を越す先生方へ、その任務の困難さを知る者の一人として、心からの感謝をこめまして、この稿のペンを置くことといたします。ありがとうございました。

 


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